【第4回】[特別寄稿]まちなかの超一等地を「広場」にする
──アイがうまれるグランドプラザ

山下裕子(NPO法人GPネットワーク/グランドプラザ運営)
ヒトとヒトとの"face to face"な出会いが生まれる場「広場」。再開発事業によってできた「都市空地」を活かし整備された富山市のまちなかの「広場」グランドプラザではいま、社会には実にさまざまなヒトがいる、ということをリアルに伝えながら、そのさまざまな世代・好み・習慣の異なった個性溢れるヒト同士が、その日、その場限りの小さな出会いや、繋がりを生み育んでいます。
歩いて通りかかり、時間や気持ちに余裕があったり風が気持ち良い時には、立ち止まって座りヒトと話をしたり、お茶を飲んだりできる「広場」は、まちなかのリビングルームであり、富山LRT路面電車"セントラム"の電停「グランドプラザ前駅」の完成後は、ヒトをお迎えするまちなかのロビーにもなっています。
今年開業5周年を迎え、集客も多くイヴェントが盛んな休日だけでなく、ヒトの暮らしの数だけ生まれ、それぞれのライフスタイルのなかに自然にとりこまれつつある「広場」での日常。ヒトが安心して暮らすために寄り添い集まることで生まれた「都市」のなかに「広場」ができ、「まち」での暮らしがさらに豊かになった富山市の都市景観の一端をご紹介させていただくことで、みなさんの「まち」にも「広場」の必要性を少しでも感じていただければ幸いです。

オリジナルな広場

「広場」成功のポイントは、この5点のスタートラインがあったからだと感じます。
① まちなかの超一等地を「広場」にする
② 思いきった計画(予算)をたてる
③ なるべく自由な「広場」を整備する
④ 屋根をかける
⑤ 使用料を徴収する(使用料の支払い可能な催事者は、集客力がある)

富山市役所は、県で一番大きな商店街「総曲輪(そうがわ)商店街」に面した大きな土地(1,400㎡)を再開発事業で「広場」に変えました。一番の成功のポイントである"なるべく自由な「広場」を整備する"ために再開発事業敷地内にあった3本の市道の道路指定を解除し、禁止事項のほとんど無いオリジナル条例(富山市まちなか賑わい広場条例)を制定しました。
参考:富山市まちなか賑わい広場条例

立地

「広場」は、市内唯一の百貨店ビルとまちなかで最多収容台数(630台)を誇る駐車場の間(アイダ)にあります。つまり、My carを駐車場に停めた後、百貨店に行く際に"歩いて通る空間"を「広場」として整備したのです。「広場」はなにも無い空間ですから、「広場」がメインの目的地になることはまずありません。そこで百貨店と駐車場を結ぶ「通路」という機能を最初に設定しました。
この配置計画も賑わい創出を生むための重要なポイントだと感じています。駐車場と百貨店が隣接し、百貨店の奥に「広場」があったのでは、いまのような賑わいはきっと生まれていなかったでしょう。
「広場」がまず「通路」であったコトで、大勢のヒトが「広場」を"歩いて"通行するようになりました。

サイズ

「広場」のサイズは、幅19m×奥行65m×高さ19m。このサイズは、もともと再開発事業の敷地内にあった市道の合算+両サイドビルのセットバック部分の合計面積であり単なる偶然だそうですが、この絶妙な空間サイズによって「広場」グランドプラザの奇跡が始まったのではないかと推測しています。
まず、ヒトが「場」の機能として「広場」と認識する最小サイズである幅19mを満たしていること。「広場」を眺めていると、商店街のアーケードや大通りから入場したヒトの歩行速度が「広場」に入った途端に緩やかになり、子どもたちはなにかに興奮するのか大きな声を上げて楽しそうに笑いながら走り回ります。
どうやらヒトの気持ちになにかが"湧きあがる"サイズのようです。一方、深夜でも一人で寛いで居られる、ヒトが拠り所を感じる最大サイズのようにも感じます。

美しい空間

美しい空間には、美しい心が宿るように感じます。空間を切り取る役割である建築がまず美しいことが重要だと感じます。
「広場の主役とは、ヒトのアクティヴィティそのもの」と、広場の設計者である元日本設計の淺石優氏は語り、そのコンセプトは計画・設計・施工・運営・管理に至るまで、開業して5年が経過したいまも脈々と受け継がれています。
「広場」における唯一の建築的要素であるガラス屋根は背景に徹し、刻々とうつろいゆく豊かで美しい富山の空を眺めるための「フレーム」となり、また激しく変化する富山特有の天候からヒトを守る「シェルター」として機能しています。
また私は「ミエナイアイコン」と呼んでいるのですが、「広場」をいつもスタッフが見守り、ゴミ・吸い殻が落ちていたら拾い、時には携帯灰皿をプレゼントし、自転車を自分のすぐ側に停めたまま寛いでいるヒトには駐輪場をご案内し、「広場」の快適性を妨げる不要なモノが常時ない環境を目指しています。
そうした広場ですこし心苦しい行為をしてしまうヒトの共通点は、心の淋しさであるように感じます。そこでスタッフは突然の注意の言葉ではなく、挨拶や天気の話題から話しかけ、会話という直接ふれあう温かなコミュニケーションでそうした行為を解決するよう心がけています。その積み重ねのおかげでしょうか、名を知らぬ同士でも挨拶をしたり立ち話ができることで、「広場」特有のヒトとヒトとの緩やかなつながりが日々たくさん生まれているのです。

話しかけやすい広場

フラットスペース

「広場」は点字ブロックすらないフラットな「場」です。「広場」には、常時ヒトがいるので、目が不自由で白い杖をついているヒトや、体調不良で倒れてしまったヒトがいた時には、その場面に居合わせたヒトが自然と歩み寄り手助けをします。点字ブロックや警報の鳴るボタンはひとつもありませんが、ヒトがヒトをいつも眺め、互いに見守りあっているのです。このような場面に出会う度に「広場」では、心のバリアフリーがヒトとヒトとの間で自然と育まれていくように感じるのです。

レイアウトは無限大

「広場」には、落葉樹シナノ木(重さ3t)植栽5台、車止め用植栽12台、カフェテーブル20セット(80席)、富山県産材ベンチ3本が常設されており、すべて可動式です。「広場」は屋根がかかっていますが屋外空間(つまりソト)ですので、その日の天気、風の様子、前日との気温差等々、さまざまな与条件で「広場」の空気は常時変化しています。そんなその日の気分にあわせてレイアウトが自由にできるように、すべて備品の可動を実現しているのです。
レイアウトを変える度に、すこしだけ「広場」の空気が新鮮になる気がします。新鮮な空気を維持するのは、とても重要です。「広場」を眺めているとヒトも動物であるのだと微笑ましいくらいに実感します。例えば、まだ冬の寒い時期であってもポカポカ陽気の日には、たくさんのヒトが椅子に座り、陽なたぼっこを楽しんでいます。また真夏の陽射しの強い日には、ヒトが寛ぐスペースであるカフェテーブルが、日影の軌跡をなぞるように刻々と動いていくのです。事務所運営にインターンシップで参加した大学生がこの光景を眺め「広場ってまるで生きているみたいですね!」と、話してくれました。
「ヒトも自然である」と、東京大学名誉教授 大森彌先生は語ります。大森彌先生は、全国地域リーダー養成塾の塾長であり、私は21期生として受講しました。グランドプラザの軌跡を「これは奇跡だ」と語ってくださっています。
ヒトが安心して暮らすために寄り添い集まってつくった「都市」において、ソトで新鮮なその季節の心地よい風にあたりながら、ヒトも自然の一部であるのを感じるひとときが必要であり、その気持ちを満たすことができるのが「広場」なのかもしれません。

文字情報はナシ

「広場」の正式名称は「富山市まちなか賑わい広場」で、愛称は「グランドプラザ」ですが、「広場」には看板は一切ありません。名称や公共施設であることを覚えるよりも、なんだか楽しい「場」であり、また来たくなるような「場づくり」を運営事務所では目指しています。キャッチコピーは「うれしいヒトと出会う場所。楽しいコトと出会う場所。」とにかく休日には楽しく新しい、ヒト・モノ・コトと出会える「場」であるように心がけています。
これまでに、ボクシングの試合・バケツ稲の田園風景・棒高跳び・地ビールフェスティヴァル・フランス風蚤の市等々、5年間で500以上のイヴェントが開催されました。2010年には、2,000人を超えるワールドカップのパブリック・ビューイングを開催しました。「広場」にいた全員でひとつの大きな画面に向かって日本チームの試合を応援した瞬間の一体感は、いまでも忘れられない光景のひとつです。また昨年度からは、使用料を支払ってでも「広場」を利用したいという若者も増え、ダンス部発表会・結婚式2次会・ゼミ交流会等々、高校生や大学生といった若者のイヴェントもたくさん生まれ育まれています。
こうした休日毎の賑わいを継続した結果、「広場」の完成前にはまちなかに月に1度のペースで来街していたヒトが、週に1度のペースで来街するようになり、3年目には富山LRT路面電車"セントラム"の駅名「グランドプラザ前」となり、4年目には隣接する店舗のCMキャッチコピーで「グランドプラザ横」と呼ばれ「広場」がランドマークになりました。それはまるで、そのまちに暮らすヒトが「広場」とだんだん顔馴染みになり、お互いを理解し、親近感を抱きはじめているような、ヒトと「広場」が自然とコミュニケーションを深めているように感じるのです。

2,000人を超える人々が集まったサッカー・ワールドカップのパブリック・ビューイング

高校生ダンス大会

結婚式会場にもなる広場

「歩く」がメイン

ヒトも、モノも、コトも、たくさん集まっている「都市」のなかで、ヒトの行動の基本である"歩く"という行為が制限されない「広場」では、ヒトが歩いて通りかかることで、生身のヒトとヒトとがすれ違い、出会います。また、立ち止まるのが可能なスペース(間・場)があることで、立ち話がはじまり、座りはじめたり、お茶を飲んで寛いだり、近所のお店へ連れ立ってでかけたり......と、約束をしなくてもヒトとヒトが出会い、繋がる、「広場」という「場」のチカラ。
先日、こんな光景に出会いました。ある冷たい風の日に、缶コーヒーをテーブルの上に2つならべ初老の男性がすこしそわそわして椅子に座っています。そこにいつも別々に見かけていたご婦人が男性に手をふりながら近づき隣に座りました。すると男性は、すこし女性のほうに自分の席を寄せ、微笑み、2人は楽しそうに話をはじめたのです。オープンな「場」である「広場」だからこその出会いのように感じました。他者(ヒト)の視線があることで生まれるフランクでフラットな、ヒトとヒトとの本質的な出会い。
富山市が推し進めるコンパクトシティの意義とは、「ヒトとヒトとの出会う機会が増えることである」と、早稲田大学の宮口侗廸先生は語ります。宮口侗廸先生は、富山市内に居を構え、市の軌跡を肌身に感じながら東京へ出稼ぎする生活を30年継続されています。また、富山市都市計画審議会の会長でもあります。日々そのことを実感し、ヒトとの繋がりの有り難さを実感しています。
生身のヒトに出会うと、そのヒトのことがよくわかり、感じることができます。例えば、メールの画面に「元気です!」と書かれていても、どんな風に元気なのかはわかりません。しかしそのヒト自身に出会うと、顔色・肌艶・髪型の状況から服装、呼吸まで、つぶさに感じることができるのです。生身のヒト同士が出会うことは、なんと尊く大切なことなのでしょうか。

子どもの存在

「広場では安心して子どもの手を放せます。」とは、小さなお子さんをもつお母さんの実感のこもった言葉です。車や自転車・通行人の多い「まちなか」において"子どもの手を放せる"場は、案外少ないのかもしれません。「広場」では平日に、子どもにとっては夢のような大きさのつみ木広場(広さ36㎡、つみ木3,000個)を毎日のように開催しています。そこでは、つみ木をきっかけに子どもが集まり、子ども同士の輪をきっかけに、オトナ同士のコミュニケーションの輪が自然に生まれ育まれています。

つみ木広場

つみ木遊びに夢中な高校生

また運営事務所では自主企画として、富山県内の保育園・幼稚園・小学校の子どもたちが施設ごとに参加する「グランドプラザであそぼう!」を平日開催しています。これは、いくつになってもまちなかを大切に想うヒトの共通点が、「幼い頃、まちなかに楽しい思い出がある」ことがわかったからです。この事業では、母親に連れられた子どもたちと先生に引率された子どもたちが交り合うようにして参加します。
子どもの存在は偉大です。「広場」に子どもがいるだけで、生命力の塊である子どもの存在それだけで、「広場」は華やぎ、活気溢れる「場」となります。子どもの笑顔を眺めるだけで周囲のオトナは微笑み、子どもは、家族でも、先生でもないオトナに出会い貴重な社会経験をするのです。
また、オープンな「広場」で遊んでいるとその施設以外の子どもも一緒に遊びます。そんな場面を眺めていると、子どもは、どんな小さな子どもでも自分より小さな子どもを前にすると、その子どもに遊び方を伝えたり、その子を危険から守ろうとするのです。これもまた、同じ年齢同士としか遊べない環境では経験できない貴重な社会経験です。

初対面の親子同士で遊ぶ

自分より小さな子がいるとお姉さんに

社会を感じる広場(新しい公共という価値)

「広場」の運営事務所は、年中無休です。今年の元旦の朝、まちなかにヒトの姿はまばらでしたが、公共交通であるLRT"セントラム"は通常運行されていました。ヒトの暮らしがある限り、その根底を支えている公共事業。「広場」の存在が「都市」に必要不可欠な存在になることを望むと、「広場」が公共事業であることの意義を深く感じます。
「広場」が行政機関である富山市役所の公共施設であることは、いざという時には運営事務所は市役所に守られ、強く大きな後ろ盾が得られるということでもあるのです。そうした環境だからこそ、運営事務所は5年目を迎えたいまも実験的な姿勢を継続しながら、まだ日本では生まれたばかりの「広場」文化育成に向かって、安心して伸び伸びと日々歩み続けることができているように感じています。
「広場」とは、「わたし(自己)のままでいることのできる場」であり、「社会にはさまざまなヒトがいることを知る場」です。「広場」で企画されるイヴェントの内容・組織体制等には社会そのものが現われ、「広場」の日常には、その時代、その地域の政治・経済・暮らし等の情勢が如実に、否応なしに現れるように感じます。そんな「広場」に、小さな子ども・やんちゃな子ども・学生・サラリーマン・お年寄り等々、本当にさまざまな年齢・性別・個性・出で立ちのヒトが集まり、互いを眺め、感じあう。
「都市とは、少年がその街路を歩くだけで、大人になった時に何になりたいかを感じ取ることができる場所でなければならない」と、建築家ルイス・カーンは語っています。
富山市のまちなかの超一等地にできた「広場」グランドプラザでは、たくさんのアイ(挨拶、間柄、相席、愛、I(私))が、今日もひらき、生まれ、育まれています。
"ヒトとヒトとの出会いに勝るものなし"と、リアルに伝えながら。

201205

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