内田隆三さんの大著に関して思ういくつかのことども

八束はじめ
 内田隆三著『国土論』
内田隆三『国土論』
2002年11月25日発行
筑摩書房
定価:本体4,800円+税
ISBN:4480847138
571頁

折につけて内田さんが書かれてきたテクストを集めたもので、かなりの膨大な量に及ぶ力作である。多木浩二さんや今村仁司さんなどと共同研究されていた、西武百貨店史をきっかけとする現代消費社会(資本主義)論あたりが端緒となっているように思われる。「国土論」というタイトルを見ると、私のような仕事をしている者は、どうしても空間としての国土の問題かと思ってしまうが、戦後国土計画に端を発するニュータウン計画----多摩が中心に据えられていて、それには私達が『10+1』No.1(INAX出版、1994)でご一緒した際の論考もベースとなっている----の考察も含まれているとはいえ、全体としては必ずしもそうではない。天皇制の問題から、現代の消費や犯罪のモードに至る日本社会全体を論じた著作である。以前多木さんを中心とした鼎談でご一緒した際には、社会学者と建築家の見方の違いみたいなことを感じた覚えがあるが(申し訳ないことに、多木さんは調整に苦労をされたとか)、といって、この本は普通に社会学的な著作というにはあまりに幅が広すぎる。カルチュラル・スタディーズとも分類できる仕事だが、それがこのように縦横かつ広大なパースペクティブを与えられることは滅多にない。それはフーコーから柳田までを論じる内田さんの思想家としての視線の幅ないし懐の深さに対応している。私も明治から終戦までの建築を中心とした思想空間の系譜学のようなものをまとめているところなのだが、この内田さんのお仕事とは全く独立した作業であり、アプローチは大きく違いながら、仕事柄取り上げたテーマのひとつ「国土計画」そのものものが接点をもつからというだけでなく(ただし取り上げた時代が異なる)、両方の作業はもっと微妙な水脈の系のように平行し、時にいくつもの点で交錯している。この点で、私にはこの大著は殊更興味深く読まれた。

書き下しではなく、様々な機会に書かれたもののアンソロジーということもあって、各々のテクストの対象は、内容的にも時代的にも拡散している。体系的なオーダーをもった「国土学」が意図されたわけでは、少なくとも本書の段階では、ない。書評はある程度内容を梗概的に読者に伝える役割をもっているが、本書でそれをしようとすれば、紙面の殆どを使い果たしてしまうことになりかねない。幸い、いわゆる「帯」に印刷されている解題が実に巧みな要約を行っているので、それを丸々引用するという不精を決め込んで(?)で代用したい。曰く「20世紀のはじめ、沈黙と恐怖のうちに浮上した〈国土〉というトポス。資本の修辞学は天皇の物語と交差しながらその国土を変貌させていく。大逆事件、〈故郷の生成〉、敗戦の焦土、高度成長、マイホーム、三島の自決、天皇のXデー、バブルの首都、郊外ニュータウン、そして世紀末の廃墟の光景を通り抜け、それらの歴史的厚みと神話的奥行きを透視し、人間の可能性と精神の行方を問う」。少々文学(キャッチコピー)的な「修辞性」を除けば適確な要約である。つまり、各論は手短にしてしまえばこのように羅列するしかないが(この書評でもそのすべてに触れることは出来ない)、本書の主題の方は、「資本の修辞学」と「天皇の物語」の「交差」、ここに凝縮されているのだ。しかし、それを天皇制資本主義論とひとつにまとめてしまってはならない。もはや講座派的にせよ、労農派的にせよ、修辞論などを完璧に欠如させたその手のアプローチで「国土論」が語れないことは明白だからだ(民衆の生活史----生活誌----に依拠すると志しながら、その変容を見事に捉え損なった戦後左翼史観の不毛よ)。かといって、前者にポストモダンな戦後を、後者に神話的な戦前を割り振るだけでもその連続性は語れない。当然、天皇の「人間宣言」以降、神話は前面から後退し、資本の修辞学はポストモダン(ポスト戦後)において新たな水準を獲得するが、両方のオーバーラップする部分は存在している。ここではそのような結節点、及び評者である私自身の仕事との交錯点にも眼を向けながら、いくつかの指摘、もしくは、この豊穣なテーマに付加可能なテマティックの落ち穂拾いをしておこう。

冒頭で、佐藤春夫から中上健次という新宮コネクションから説き起こし、同じ新宮出身の医師大石誠之助が大逆事件に連座して処刑されたことが後の春夫に与えた心理的な捻れを、中上が紀州熊野に見た天皇制日本の中での特殊な位置(天皇の先祖たる天津神に打倒される荒ぶる神の地)に重ねた天皇制と日本の共同体意識の関係の記述は、巧みな語りだしである。つまり、それは「日本人」という国民像の成立の起源にある多くの闇や忘却につながっているというわけだ。上の要約の「沈黙と恐怖のうちに浮上した」とは、これを指している(ただし、これに間違いはないが、ファシズムの恐怖のステロタイプみたいなものを感じさせてしまう点で----これは必ずしも内田さんの主旨ではあるまい----100点はつけ難い)。建国の神話と明治から大正への変わりめで起こった一人の人間の死(殆ど恣意的といってよい程の連座のさせられ方)は、明治天皇の御召列車を脱線させてしまった責任をとって自死した鉄道員のエピソード(春夫はそれを詠じる)と重ねられ、この時代の国土空間に与えられた「曲率」を、いわば接線として描き出す。

因に、本書では、春夫と大石の関係は、大石とも懇意であった与謝野寛(鉄幹)が招かれた講演会に春夫が飛び入りで演説したことがもとで停学処分を受けたという経緯が紹介されているにすぎないが、この大石は春夫の親友で、大正の住宅改良を推進し、後の文化学院の創始者となった西村伊作(坂倉準三の義父でもある)の叔父である----大石はやはり医師であった春夫の父 とも親交があった。伊作はその与謝野らの『明星』に住宅をめぐるエッセイを連載しており、春夫の住宅をめぐる関心はそこに発している(今は新宮に移築されている春夫の自邸は伊作の設計である)。直接の血縁である以上、大正の改良家の典型のような伊作の上に落としたこの事件の影はより大きかった違いない。私の作業では国土空間の中で地方や田園のようなものが浮上するのが明治末であり、内田さんの研究対象でもある柳田国男はその改良運動に官僚として関わるのだが、それは都市の郊外へのまなざしをも包含する。柳田と民家調査をした今和次郎の「日本の民家」はそのような著作だが、それを文学的に病める薔薇のイメージとして書いたのが春夫の「田園の憂鬱」である。「田園」は都会(東京)でも田舎(新宮)でもない場所として春夫が選んだ隠れ場だった。しかし、この作品は、発見されたばかりの田園(それは都会でもなく地方でもない)を既に神経症に浸された場として描き出す。もはや「田舎にも、都会にも、地上には彼を安らかにする楽園はどこにも無い。どこにも無い」。また、この「田園の憂鬱」とも関連して書かれた小品「西班牙犬の家」に登場するハイブリッドなイメージの家(伊作の宣伝した和洋折衷のイメージと関わりがあるに違いない)は、上記多摩ニュータウンの不思議な光景とも無縁ではない。

文学作品は当然のこととして、記憶はただあるわけではない。それは時につくり出され、時に忘却(隠蔽)される。国家や国土のようなものの起源のそれであるときにはなおさらである。多くの仕掛けが重畳される。そうした諸制度/装置への関心はこうした作業にとっての基本路線ともいえるが、内田さんは、それを文部唱歌『故郷』----故郷というテーマに関しては、成田龍一氏が神島二郎氏の「第二のムラ」論からヒントを得て書いた『〈故郷〉という物語----都市空間の歴史学』(吉川弘文館  1994)がある----を例にとって論じている。それは、大衆にとっての生活の原像をその今や古典ともいえる転向論の核にした吉本隆明氏の大正期大衆ナショナリズム論とつなげて論じられ、更に同時期の大衆消費社会の登場(映画やデパート)と接続される。資本の修辞と天皇制下の社会の邂逅は既にここにはじまっている。かたや田園かたや都会的な現象だが、内田さんは『故郷』が、具体的な内容(実感)につながっているというよりは、むしろそれを欠いた書き割りのような模擬物(シミュラークル=抽象的な社会空間)として構成されていると論じている。それはメディアや輸送機関のような新しいテクノロジーが国土空間を貫通し、あるいはその限界を超えてすら拡がることによってもちこまれる〈場〉の変容の断面であった、と。

因に、上述の多摩ニュータウンには、かつて東京の都心部にあった----今は取り壊された----四ッ谷見附け橋がレプリカのような模擬物=書き割りとして再現されている(建築化され、捏造された「故郷」)ことは内田さんも留意されているが、このニュータウンは武蔵野において最も遺跡の出土する敷地で(真っ先にそのための博物館が整備された)、平成版「故郷」でもあるアニメ映画『平成ぽんぽこたぬき合戦』 の舞台ともなった。時代は廻る・・・。これも因に、文学におけるモダニズムは基本的に大衆消費社会の登場に立脚した50年前のポストモダンだった(建築や美術のそれは----もちろん無縁ではないとしても----いささか異なる)が、詩人でもある吉本氏がそれに関心を示さなかったのは、この原像への忠節のためで、高村光太郎の「緑の太陽」をすねかじり理論と一蹴したのはいい例である。しかし、「マス・イメ-ジ論 」(福武書店 1984)や「ハイ・イメ-ジ論 」(福武書店1989)以来の吉本氏の議論を見れば、思想家吉本隆明における「原像の変容」はあまりに明らかで、内田さんのこの論考は、原像への忠節が故での吉本氏の「転向」を別の角度からフォローしたものと読めなくもない。

「焦土」の項は、空爆が無差別化していく「純技術」的なフォローとそれを下で経験した者(遠くから見ていた者まで含めて)の「感想」を核に進行するが、「国土計画」が対空襲措置としてもスタートした(当時の建築雑誌にはその手の記事が多い)ことも取り上げられたら面白かった。それが戦後のニュータウン計画などにもつながっていくからである。それは立場的には空爆する側とは対極の防衛側の思惟だが、見方としてはする側と同じ空からの視線によっている(計画的なまなざしはすべてそうだが)。これに対してされる側の体験はそれとは根本的に違うモードであり、内田さんの書き方も、坂口安吾から三島由紀夫、そして柳田国男に至る人々の心理の方に分け入っていく。それは決して空襲する側(防衛する側)のまなざしと対称形を形作ることはない。更にこの非対称は----著者に意識されているわけではないかもしれないが----、天皇の「ご聖断」における「国土」の焦土化と「神器」の喪失への懸念の奇妙な対称(非対称?)感覚ともつながっているように思われる。内田さんのアプローチは、柄谷行人流にいえば、焦土化という不条理で倒錯したモメントにおける「日本精神分析」なのだが(「精神分析」は、資本の修辞学と天皇制の神話学の二つの曲線の提示するベクトル場への唯一可能なアプローチの方法なのかもしれない)、それは空爆や計画というテクノロジーや神器の護持という物質主義とは別の地平の出来事のようにして歪んだ国土のイメージを形作る。戦後国土計画が現出したあまりに平和なニュータウンの相貌は、その見事なまでの陰画(逆か?)なのだが。

こうした国土論は、もちろん、民族論でもあるし、もう少し視野を拡大すると植民地論にもなるわけだが、 内田さんは近年とみに増加したこれらの問題にはとくに言及されていない。おそらくは意図的だろうから、それに触れてほしかったというのはないものねだりというものだろう。『単一民族神話の起源 : 〈日本人〉の自画像の系譜 』(新曜社1995)から『〈民主〉と〈愛国〉 : 戦後日本のナショナリズムと公共性 』( 新曜社2002)までの小熊英二氏の一連の仕事のようなものがあればいいではないかということかもしれない。しかし、例えばテッサ・モーリス=スズキ氏の仕事(「国民国家の形成と空間意識」上村忠男他編『歴史と空間』( 岩波書店2002)所収とか、<Becomming Japanese : Imperial Expansion and IdentityCrises in the Early Twentieth Century> A. Minichiell ed.< JAPAN`SCOMPETING MODERNITIES> (Univ. of Hawai Press 1998)所収など)などに見られる空間と意識の微妙な境界を扱った仕事のようなものがここにも見られると、「国土論」としては更に厚みを増したのではないか?本書でやや悔やまれるのは、国境論がないことなのだが(とはいえ、繰り返すが、あくまでないものねだりである。今でも充分に厚いし)。

19世紀末の大逆事件の刑死ではじまり、20世紀末の東電OLや神戸の少年の事件という「死」に関わる議論で閉じるこの「国土論」だが(この構成が意図的なのかどうかは知らない)、内田さんはそこに連続を見ているのだろうか、それとも近代とポストモダンとの間の亀裂を見ているのだろうか(昭和と平成の二人の天皇のあり方の比較としてしか論じられていない)、つまり繰り返される隠喩的表現でいえば、国土空間の示す曲率は何処かで非連続点をもつのだろうか、それともなだらかにつながっているのだろうか、それは私としては残された関心である。次にはその点についてのご高説を拝聴してみたい。しかし、とりあえず、十二分に読者を満足させてくれる本の登場である。

[やつか はじめ・建築家]


200304

連載 BOOK REVIEW|八束はじめ

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