日本建築の現場への文化人類学的アプローチ

八束はじめ
 Dana Buntrock『Japanese Architecture as a Collaborative Process』日本建築の現場への文化人類学的アプローチ
Dana Buntrock『Japanese Architecture as a Collaborative Process』
2002年2月発行
Spon Press London & New York 2002
定価:$52.95
ISBN:0419251405
224頁

先月とは随分違ったタイプの本だが、これも私には身近な著者の、しかし英語の本を取り上げたい。日本で出ていない本では本欄の趣旨とは違うかもしれないが、「協働過程としての日本建築」というタイトルが示すように、とりあげられている主題は「日本」そのものなので、書評というよりもむしろ紹介を兼ねてということでお読み頂きたい。

著者のデイナ・バントロックは現在カリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執っている。簡単にいってしまえば他にも何人かいる日本の現代建築の研究者なのだが、彼女の場合は結果のみならず、建築がつくられていく過程に関心をもって足繁く現場に通う点が断然特徴的である。日本人も含めてそんなことをしているウォッチャーは他にいないだろう。彼女ははじめて来日した時には第一工房に籍を置いて設計に携わり、その後は東大の藤森研究室に変わり、その後アメリカと日本を往復することになった。本書の内容になったような事柄に関心をそそられたからであるという。

彼女から聞いた印象的なエピソードだが、第一工房でドア周りの詳細を描くようにいわれて、極く普通の納まりを描いたところ、日本人同僚にそれなら別にわざわざ描けとはいわないと指摘されて驚いたという。日本側もこんな当たり前の話に彼女が驚いたことに驚いたことだろうが、アメリカでは図面は契約のためのドキュメントである。デザインとして重要な箇所であろうとなかろうと、すべて図面化されていなくてはならない(基本的に施工図というものがないこともこれに関わる)。しかし、日本の図面は遥かに曖昧で、確かに契約のベースをなすが厳密ではなく、設計者の意図を伝えること、概ねのガイドラインを示すことが目的であり、現場にはいってからも施工図その他での検討・変更が続けられる。私はかつて白井晟一の図面が思い入れの深い箇所を美術品のように描かれていたことに感銘を受け、ルイス・カーンの名作《キンベル美術館》の図面がひどく通り一遍の描き方をされているのに逆にショックを受けたことを思い出す。それだから、図面は日本でははじまりにすぎない。現場で補完されなければならない。かつて前川國男がいった「現場管理とは設計変更である」というようなことはだんだん難しくなってきたとはいえ、日本では大なり小なり現場で変更がないプロジェクトなどはないが、アメリカではそれはずっと困難である。

デイナ(友人なのでファーストネームで書かせてもらう)はこの差にいたく関心をもったらしい。そうした現場変更はゼネコン及びサブコン(あるいはときには発注者)との関係がフレクシブルでなければ可能ではない。両者の契約関係の間で利害が対立していてはそうした関係は築けない。しかも、知見を深めていくと、日本の設計者をめぐる環境のフレクシブルさは現場以前の設計時にも、メーカーその他の協力・コンサルティングというかたちで存在している。これもアメリカでは──ないわけではないとしても──通り一遍以上のものは難しいらしい。日本の建設行為における設計する側とつくる側の関係は単なる利潤追求を超えたものとなっている(私はかつて故倉俣史朗さんの現場でアルミチップの吹き付けを7度もやり直したと聞いて、業者さんもそれじゃ採算合わないねぇ、と口を滑らし、聞きつけたあるガラス屋さんに、そんなこと、倉俣さんの仕事では目じゃない、と怒られたことがある)これは、建築のみならず日本の経済活動全体にもいえることではないか、と彼女は考えたらしい。当時はバブルもはじける前で、日本型経営についての考察がアメリカでも盛んだった頃である。かくして、彼女は私も含めた色々な建築家と知己を得て、その現場に通い、定例の打ち合わせなどにも顔を出し(日本語は相当に達者であり、書くことも出来る)、はては様々なファブ(製作所)にまで足を伸ばした。当の建築家本人より繁く通った例もあるに違いない。伊東豊雄さんの《せんだいメディアテーク》とか、山本理顕さんの《埼玉県立看護大学》とかはその例だろう。本書はそのドキュメントにアカデミックな考察を加えたものである。

こういう事情のために、このテクストには単なる建築の専門書という以上に、多分に文化人類学的なリサーチのような趣が見られる(関係ないかもしれないが、彼女がもともと拠点を置いていたシカゴはその方面ではメッカのひとつだった)。彼女の探求は技術をめぐる諸問題を扱っているのだが、単一の技術というより複合的なその遂行である建築の施工(の体制)は、社会のシステムとか慣習という問題に行き着かざるを得ないからである。技術の問題である以上に文化の問題でもあるのだ。本書の最初の章でも触れられている「日本株式会社」の独特なあり方への分析(私も専務だとか常務について説明をさせられた)がバブル時代に日本経済の奇跡の鍵を解明するものとして流行したが、それが成果(効率)の問題への関心だけで行なわれていたとすれば(そうしたものが少なからずあったことは否定できないが)それだけのことで、誠実で知的な分析ならばそのレヴェルだけには留まっておれないはずだ。そうした意味で、国際的な比較によって社会経済の枠組みを問題にしてきた従来の諸学問から抜け落ちていたミクロな問題をつなげていった、カルチュラル・スタディーズ的なアプローチを建築の分野で適応してみせたのが本書である、といってもさして的外れとも思えない。この推察は、彼女のUCバークレー校の学生の中に本当に文化人類学の調査のようなことをしている人もいる(その一人は何処であったか、「おにぎり」村という村おこしをしている村に住み込んで調査をしている──同時にミッシェル・フーコーとかクリフォード・ギアツとかの理論にも通暁しているらしい)ことからも傍証される。おにぎり村の住民同様に、我々日本の建築家もこうした調査のインフォーマントであったと考えることはなかなか楽しいではないか?

デイナの考察はこのような日本建築の特質を史的な源流にまでさかのぼって探求するところまで行なわれ、近世の建築生産に関わる紹介(設計者としての大工の機能やその上位に位置する棟梁/作事方の官僚化の問題から、近世における様式──正確にいえば折衷──や装飾の問題などまで)から、それが明治に被らざるを得なかった変化について、つまり今日に至る日本の近代的建築生産の体制の整備までもがフォローされる。もちろん、その中核を担った総合請負業、つまりゼネコンはこの流れから生まれている。近世の生産史自体は日本の建築史家たちの多くの蓄積があるが、今日の体制までのパースペクティブを与えられることは稀である。つまりここで関心の中心にある(タイトルにもある)「協働作業過程」とは、設計-施工のクリアな分離がなされなかったという経緯にも依存している。これは例えばアメリカにおいては原理的に利害の対立する二者(利潤追求のために働く施工者と、クライアントの代行としてその監理を行う設計者)という位置づけがなされ、そのために(いうなれば「原罪」を背負った)施工者は図面を描くことが許されない。それに対して、日本のシステムでは責任の所在は曖昧である(ここで指摘されているわけではないが、何しろ建築基準法では設計通りにやって不具合が予想される場合には、施工者はその是正を申し出ない限り共同の責任を免れないと明記されているのだから)。これはいってみれば契約や責任の概念が明確にされていない、つまり近代化/合理化が完遂されていない、日本の未成熟の証でもある。しかし、それがよりフレクシブルな協働体制と、その結果としてより良好な建物を生み出しているとしたらどうなのか、という問い直しが本書の基底をなしており、実際に「不完全な契約」のメリットについての議論まで収録されている。アメリカなどの形式的に完備された契約は、一度しか会わないだろう相手を想定している。しかし日本では必ずしもそうではないから、その時限りの帳尻だけでことが判断されるわけではない、と。日本の論者だったら、かえってそうは考えにくいだろう。あるいはそう堂々ということは難しいだろう──ある意味では設計者がモラトリウム状態にあると認めるようなものだから。

最近常勤の教師になった私などには、アメリカの教育に比べて、苛烈な入試のあとの日本の大学教育はもっと緩くて、卒業したからといって即戦力としてはずっと弱いとか、授業でも学生の出席率が低く教師もすぐに休講にするなどという指摘はいささか耳が痛いが、それは悪いことばかりではない、彼らは実践については設計及び施行の現場で見て学ぶのだから、と彼女は指摘している。習うより慣れろというわけだ(それは、昔の「子のたまわく......」の論語教育の効用を思わせる)。設計事務所の新入所員は、アメリカでは標準ディテールを描く事からはじめるが、日本では掃除やコーヒーを入れる事からはじめる。つまり徒弟修業である(要するに我々は未だ近世の旧慣から脱していない!)。この徒弟君たちは会議や見学会にかり出されて、序々に事務所の流儀や現場の実践に慣らされていく(実例として私の建物の見学会が私の写真つきで掲載されているのはいささか面映い)というわけだ。事務所こそが教育の現場になっていく(いわゆる番頭さんに教えてもらうわけだ。でも先方も忙しいから一から手とり足とり教えてくれるわけではない、自分で習えよ──むしろ倣えよ、か?──というわけだ)。日本の実践を経験した我々には当たり前すぎる光景なのだが、そう改めて指摘されると、なるほどこれは確かに「普遍的」というよりは「伝統的」「文化的」にコードづけられたすこぶる特殊なあり方なのだと合点がいく(そういえば、コンピュータでつくった複雑な形で学生に影響があるアメリカの若い人気建築家が、はじめての実施プロジェクトに関してスタッフィングのことを訊かれて、プロジェクトの度に新たに集める、その方が新鮮だろ、と得意顔で答えたのに呆れたことがあるのを思い出した。そうして彼がつくった実際の建物は、写真も見ていないけれども、人から聞いた話によるとひどい代物らしいが、まあ当然だろうね)。

さて、それではこうして実践に参入した徒弟君たちを含めた設計事務所は現場をどうコントロールするのか? それには色々なやり方がある。施工者が設計スタッフを抱えているからである。外国人建築家が他国以上に日本でスムーズに仕事を運べるのはそのためだ。建築家がやるのは、基本設計と模型くらいで後は日本側でことを運んでくれる。施工精度もいい。彼らが本国でやるよりもうまくいったりすることもしばしばである(もちろん微妙な仕事ではそうもいかないと付け加えておこう──最近のヘルツォーク&ド・ムーロンの《プラダブティック青山店》では設計者は結果にいささかおかんむりだったともいうが、それが例えばアメリカやオランダだったら──東欧ならなおさらだが──もっとずっと悲惨な結果になったかもしれない)。とにかく地元のアドヴァンテージのある日本人建築家たちはもっと厳密にコントロールしようとするが、それでもゼネコン設計部の力を利用する手は有効だし、民間建築はもちろん、ずっと制限されるとしても公共建築ですらこの手は大なり小なり残されている。現場と並行して(「協働」をしながら)設計をつめていくなどという、契約が金科玉条にされるシステムではあり得ないやり方は日本では常套である。伊東さんの《せんだいメディアテーク》のように、設計時に(つまりファブの協力なしに)全部を詰め切るなどということが困難な現場ではこの種のフレクシビリティが必須である。コンサルやファブやゼネコンの人々が設計事務所のつくる大きな部分モデルを媒介にして様々な知恵を出し合う(だから契約図面は十分条件ではない)。原理がクリアされただけでは足りない。何しろ溶接箇所が全部違うだろうし、少しでも寸法が狂ったら構造体の角度自体が違ってしまう。ロッテルダムのベン・ファン・ベルケル設計の橋は、両側からつくっていったら真ん中で30センチだか足りなかったというが(格好はともかく基本的にはただの斜張橋だぜ)、メディアテークでそんなルーズな仕事をやったら現場は地獄だろう。とはいえ、デイナは現場での「修羅場」(突発事?)なども目撃したらしい(Mediateque crisis)。それは現場の人々(設計事務所のスタッフやゼネコン側の係員)の当意即妙の「協働」によって解決されていったらしいが。

メーカーやサブコンの協力はそれ以上に重要ですらあるが、これは設計者にとってだけではない。メーカーやサブコンにとっても新しいデザイン上のアイデアが新製品(パテント)の開発につながったり、逆に技術やアイデアのデモの絶好の機会を提供するからだ。リーディング・アーキテクトはリーディング・ユーザーでもあるというわけである。現に私を叱った件(くだん)のガラス屋さんは、倉俣さんのアイデアによるガラスを商品化している。ミース・ファン・デル・ローエが鉄のカーテンウォールを普及させたように、槇文彦さんはステンレスのシーム溶接工法を普及させた(このアイデアそのものは北欧での発明だったはずだが、ヨーロッパの大部分には知られていないようで、私は熊本でのエリア・ゼンゲリス、エレーニ・ジガンテスのプロジェクトにその使用を勧めた際に、そんな魔法があるのかと説明を要求された──ディテールを描いてもただのハゼつぎと同じに見えるので、ステンレスだからこそ可能な薄板溶接の理屈を俄勉強して、イオン価とか面倒な話まで説明しないと分かってもらえなかった)。つまり、様々なイノヴェーションや応用が、諸々の協働作業を通じて細かく重ね合わされて一個の建物に集約されていく。小さな流れが大きな川に合流されていくように。まるで日本の産業界の成功の秘訣の断面を見ているようではないか──等々、そういわれるとこっちの方がなるほどと思ってしまう。面白いものだ。これは海外、とくにアメリカの読者に向けて日本の現代建築のつくられ方を紹介するという目的で書かれたものだから、日本の読者、とくに建築専門家にとっては周知の事実も多く含まれている。しかし、それが国際的に見てむしろ稀な例に属することは我々にはかえって見えない。これは逆に海外での仕事をした経験のある者には多かれ少なかれ身にしみた覚えのあることだろう。「外」の視線が「内」の事柄を明らかにする、というような例は、何事によらず日本に関してはむしろありふれたことだが、それらの貢献はこれまでも我々にとっても少なからぬ意義を持つものだった。本書がその例外でないのは有り難いことである。

率直にいって、隣の芝が青く見えること、つまりいくつかの箇所では少々よく書かれ過ぎではないかと思うことがないではない。しかし、それはさほど重要ではない。むしろ、例えばミースやチャールズ・イームズにイノヴェーションを可能にした体制がアメリカでは消滅しかかっているという指摘(例えばシカゴに行くと建物のクオリティが新しいほど低下していることが歴史的断層のようにはっきりと見てとれる)を聞くと、いやいやそれは日本にとっても無縁の話ではないのではないかと気にかかってくる。「モラトリウム」、つまり執行猶予がいつまでこの国の建築生産を牧歌的ならしめているのか。デフレ下の価格競争で、大事務所やゼネコン設計部が図面化の一部を海外(より安価な東南アジア)などに移している現状などを考えると、既にそれは黄昏れかかっているのかもしれない。中国の現場のように、概ね直角ならそれでいいではないかとか、仕様書通りでなくとも似たような素材ならめくじら立てるなとかいう話が日本でもまかり通るようにならないとも限らない(私の現場の緞帳のファブに行った時に、あれは殆ど人海戦術でつくる──十数人の職人さんが一列に並んで1日に10センチずつ位つくる──わけだが、そうなると価格的に中国に勝てないのでは、と訊いたら、中国から技術習得に来るけれども、彼らがやると皺がよってしまう、それでは日本の現場では納められません、という答がかえってきた)。アトリエ事務所だって甘やかされた学生を一から徒弟修業させる余裕などなくなってきている。さあどうなるのだろう? 願わくは、この本がかつて日本近代建築が輝いていた古き良き時代の懐かしくも信じられない記録などになってしまわないことを。それと、何処かの本屋さんが翻訳出さないものか? 学生なんかにはほんとにためになると思うのだけれど。

[やつか はじめ・建築家]


200307

連載 BOOK REVIEW|八束はじめ

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