第6回:ライト・ストラクチャーの可能性
[討議]
妹島和世、西沢立衛、佐々木睦朗の協働のあり方
難波──軽い、薄い、序列がない、中心性がないなどのキーワードが出ましたが、実際どのように設計をしているのかについてはみなさんも同じような疑問を持っていると思います。今日は、多木浩二さんが翻訳されたユリウス・ポーゼナー『近代建築への招待』(青土社、1992)に書かれている、近代建築史の最先端にあるデザインを見たような気がします。彼はそれを「デマテリアライゼーション(dematerialization)」、つまり非物質化と言っています。SANAAの建築における非物質化には、箱のように完結させる方法とオスカー・ニーマイヤーのような曲線を使う開放的な方法のふたつがあると思いました。どちらの方向も構造家は佐々木さんですが、設計の決め手や、手法の使い分けはどう判断しているのでしょうか。
妹島──決め手はあまりないのですが、最初は箱からスタディを始めています。例えば《グレイス・ファームズ》でも、すべてを鉄骨で曲面をつくっていくわけにはいかないと私たちも佐々木さんも考えたので、直線の集成材を傾斜する地形に合わせて置いていき、全体でゆるやかな面を形作っています。鉄板やRC造では曲面を考えることもありますが、鉄骨をわざわざ異なるカーブで曲げていくことはあまり考えません。
佐々木──曲げる必要がなければ、どんな素材でも直線のほうが安いに決まっています。《グレイス・ファームズ》は、大スパンのところは空間の圧迫感を減らすために上弦材の集成材をアーチ状にして室内の天井高を確保したりしています。
妹島──曲面ではありますが、最初から3次元の形をつくるのではなく、2次元のカーブをつないでいくことで3次元の曲面をつくっています。
難波──共同設計の緊張感もあると思いますが、妹島さんと西沢さん、どちらがアイディアを出して相手を説得していくのですか。
妹島──いまでもよく覚えているのは、もうずっと昔のことですが、《スタッドシアター・アルメラ》のコンペを出すときに大喧嘩になり、所内がふたつのチームに分かれてしまいました。
西沢──スタッフに「お前はどっちにつくんだ?」と聞いたりして......。
妹島──20年やってきて、いまだに西沢が何を良いと言って、何を悪いと言うかはよくわかっていません。以前の状況と違って、ばらばらに打ち合わせをするので、私はこれが良いと言っても、スタッフが西沢に聞くと違っていることがよくあります。もちろんスタッフの意見も相当入っています。締切もあるので、構造などいろいろなことから全体として筋が通ったものということで、決めていきます。
難波──北山恒さんは、妹島さんはどちらかといえば感性の人で、社会的、建築論的に説明するのが西沢さんの役割だと言っていましたが、本当でしょうか。
妹島──それは誤解です。あるときから西沢のほうが圧倒的に感性的になったと思います。私が良いと思ったものを、「そんなのは汚い」と言うこともあります。いまだにどの写真を選ぶかも食い違いますし、10歳離れていると相当違います。私のほうが合理的でモダンですが、私が若い人に口を出しすぎると、建物がつまらなくなってしまうこともあるような気がしていて、それは心配です。
佐々木──20年前に初めて会ったとき、清々しい建築ユニットで、絶対に伸びると思いました。ここまですごくなるとは思わなかったけどね(笑)。
妹島──最近は、ぐちゃぐちゃしたものをなんとなくきれいにまとめるということをしていて、佐々木さんも気持ちが悪いとおっしゃりながらも付き合ってくれています。例えば《なかまちテラス 小平市立仲町公民館・仲町図書館》(2015)は、小さいけれど複雑です。佐々木さんは、昔であれば怒っていたと思いますが、最近は違う展開が始まっていると思います。若い人を説得するのではなく、逆に挑戦させられているところもあると思います。
難波──大学で教えるようになって若い人を相手にするようになったからですね。
妹島──そうですね。いまのスタッフはすごく若くて、考え方は西沢とも微妙に違っています。そうは言っても筋が通らないとダメだなとは思っています。
佐々木──ある意味で、ぐちゃぐちゃした複雑なものを受け入れる準備が僕のなかでようやくできてきたようです。昔は「Less is more」を徹底してミース・ファン・デル・ローエを超えるという気持ちが強かったのですが、だんだんと「More is more」もあり得ると思うようになりました。以前は嫌いであったフランク・ゲーリーの建築を見ても、内部が自由に展開されているのにそれが自然に見えてきたり、最近では空間にある種の新鮮さすら感じるようになりました。《なかまちテラス 小平市立仲町公民館・仲町図書館》や《Junko Fukutake Hall》をやっているときは半信半疑でしたが、《すみだ北斎美術館》の現場が立ち上がっていくのを見ると、こういった複雑なことをやっても結構それで良いのかなと思い始めています。ただし、形だけをいじっていると怒ります。複雑でも、ものづくりの筋が通った合理的な考え方で新しい空間ができればおもしろいと思います。
難波──会場にいる赤松佳珠子さんも小嶋一浩さんとパートナーとしてやられていますが、SANAAについて何か気になるところはありますか。
赤松佳珠子──私と小嶋も10歳違っていて、それが結構良いのかなと感じています。西沢さんは、妹島さんがどう考えてるのか、どうしたいかをすごくよく聞いているという印象があります。うちは逆に小嶋が「赤松がやりたいことはこういうことかな」と整理してくれるケースが多いですね。
西沢──佐々木さんと一緒に仕事をしていてすごく良いと思う点は多いですが、ひとつは批評性です。構造の側からわれわれの建築が批評されている、捉え直されているという気がします。佐々木さんの視点で建築が再構成されることは、自分たちにとっての創造性が何なのかを考える重要なきっかけになっています。佐々木さんとの関係は、両者がお互いに相手に合わせるというのではなく、意匠と構造の創造的な関係があります。僕と妹島さんだけだと、とにかくやりたいことだけやる、一方向だけから考え続けるようなところがあると思うのですが、佐々木さんと打ち合わせをすることで違う方向から光を当てられて考え直すということがよくあります。
妹島──佐々木さんとの打ち合わせでは、自分たちが何となく見せたものを、「こっちの方にいくと面白いんじゃない」という方向性が決まっていくことが多いのです。
西沢──佐々木さんはご自身でエンジニアだとおっしゃっていますが、どうしてもこうだという美意識がすごくあって、芸術家のようです。佐々木さんとの打ち合わせで方向性が決まり、われわれが模型をつくって翌週持っていくと、突然また違った方向にいくことがよくあります。理屈としてはいけそうだったものが、模型を見た途端にこれはいかんとなって、方向が変わるのです。論理を超えた飛躍が起きて、われわれにとって、建築創造のドライビングフォースの大きな部分として模型があるのですが、それは佐々木さんも同じではないかと僕は感じていて、その点でもすごく共感しています。3Dモデルはなんでも可能ですが、スケールがない世界で、しかし模型は、アイディアが模型になった瞬間にスケールが生まれ、中と外が生まれ、ディテールが生まれます。模型には、イマジネーションの世界から現実の世界に乗り移るときの荒々しい飛躍があって、僕らの建築創造にとってそれはすごく大きい役割を果たしています。
難波──良い話ですね。伊東さんもそういう話をされていましたが、模型を通して会話する方法が最もクリアですね。僕が大学を定年退職する前年に「建築教育国際会議」をやりましたが、UCLA、ハーバード、コロンビア、ベルリン工科大、パリ・ラ・ヴィレット建築大では、設計課題でほとんど模型を使っていませんでした。そこで、山本理顕さんは、彼らが模型を否定していることについて怒り狂っていました。SANAAは海外のスタッフがたくさんいますが、彼らは模型に抵抗を示しませんか。
西沢──西洋人は、僕らの事務所に来ると、ある種のカルチャーショック、ギャップに苦しむようですね。ルーヴルランスやローザンヌのとき、僕らのヨーロッパの現地事務所でフランス人はゴミを床に捨てていました。ヨーロッパでは掃除の人が毎日事務所を掃除してくれるので、建築家は掃除とかはしないのです。ところが東京のSANAA事務所に来ると、妹島さんが掃除をやっていたりする(笑)。模型で思うのは、最近はそうでもないですが90年代に僕らの事務所に来たヨーロッパ人を見ていて思ったのは、彼らは模型は下の人たちがつくるものだと思っていて、自分では模型はつくらない。そんな下働きをやってしまったら建築家でなくなってしまう、というくらいの感じで、ところがわれわれのところでは、模型をつくらなければ建築家じゃないのです。ものづくりの中心をどこに置くかは、文化の違いという面もあると思います。西洋人は不器用なので、模型も下手ですが、しかし他方で、しつこく学んでゆっくり自分のものにしていく底力がある。大きな石をこつこつ彫って彫刻していくような持続力で、ああいうものを見ていると、手先が器用な日本人の不幸を感じなくもありません。
妹島──模型がないと打ち合わせができないので、ヨーロッパ人も仕方なくつくりますが、つくり方に個性が出てくるから勉強になりますね。模型がつくれるようになると、自分の国に帰ったあとにまた独自に展開していたりしておもしろいですね。
私たちにとって模型は重要で、模型を通して違う理解をすることができる。先ほど《古河総合公園飲食施設》で天井高を高くする話がありましたが、あれも、計算の世界であればたぶん低い方がいいであろうから、やはり模型による視点だと思います。模型は計算とは違った空間があるのだと思います。また模型をつくるということは、実際にどう合理的につくるかということとも繋がっていて、それもおもしろいところだと思います。
難波──佐々木さんはお酒を飲むといつも「おれには力の流れが見えるんだ」と言います。本当かなあと思いますが、そのことはコンピュータが出した答えがおかしいと気付く直感で証明されます。それがフィードバックになっていくわけです。
201610
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2020-06-01