第6回:ライト・ストラクチャーの可能性
フランク・ゲーリーとSANAAの創造性
下吹越武人──21_21 DESIGN SIGHTでの「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」で、たまたま佐々木さんがいらっしゃって「ゲーリーの空間とSANAAの関心が似通ってきているんじゃないか」というようなことをおっしゃっていました。僕も、例えば《Junako Fukutake Hall》とゲーリーがつくった《ウォルト・ディズニー・コンサートホール》(2003)の、人々が自由に集散する場所のあり方が割と近いという印象を持っています。おふたりはフランク・ゲーリーをどう見ていらっしゃいますか。
西沢──僕は1980年代後半からずっとファンです。学生時代に買った2冊目の外国の建築家の本がRizzoliから出ているフランク・ゲーリーの初期の作品集でした。現代建築家のなかで、最も創造的な部分に位置してる人のひとりだと思います。もちろんたいへんな影響を受けていますが、ただゲーリーの名誉のためにいえば、僕らとゲーリーは相当違うアプローチだと思います。
妹島──《MIT Sata Center》(2004)はすごく好きで、尊敬していますが、昔はそれほど注目はしていませんでした。《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》(1997)も、たまたま仕事のついでで見に行きましたが、一緒に行った石上純也君は目を輝かせていましたが、私はそうでもなかったです。ただ《MIT Sata Center》は、ものすごく複雑な空間で全体ができていて興奮したし、単位のつくり方、スケール感、空間の魅力、どれをとってもすごいと思いました。ゲーリーもすごく変化していっているような気がして、そこも素晴らしいですね。
難波──僕は2015年の秋に、パリの《ルイ・ヴィトン財団美術館》(2014)を見ましたが、確かに一見SANNAの《ブタペスト美術館》コンペ案に似ているようにも見えますが、全然違うと思いました。なぜならばSANAAには佐々木さんが関わっているからです。ゲーリーの場合は形が先行していて、そのスタディはすごいのですが、構造へのフィードバックはほとんどありません。だからものすごく複雑なことをやらざるを得ない。形と構造にもうちょっと緊張感があった方が良いと思います。
妹島──《ルイ・ヴィトン財団美術館》はお金がたくさん使えてしまったというのがあると思います。《ルイ・ヴィトン財団美術館》は構造コアみたいなものが全部ビスや溶接でぐちゃぐちゃにつくっていて、そういう意味では中がちょっと抑圧されている感じがしましたね。
西沢──かつて《ビルバオ・グッゲンハイム美術館ビルバオ》について、アメリカの構造家のギー・ノーダンソンと議論したことがあります。彼は「まったく評価できない、凡庸な構造だ」と言っていました。ゲーリーは事務所のパートナーに数学者がいて、彼は1970〜80年代にゲーリーがつくった模型の寸法を測って、時間をかけてコンピュータでモデル化していたそうですが、次第にそういう特殊なことは面倒臭いということで、3Dスキャンして形をコンピュータデータにして、それから構造を決めるプログラムをつくったそうです。ゲーリーの事務所にとっては、それはゲーリー建築を大きく飛躍させる重要な契機だったのではないかと思います。ギーの批判はある意味で的を射ていて、ゲーリーの建築は、まず構造があるのではなく、まず外形があって、仕上げラインから自動的にオフセットして構造ラインが出てくるので、つまり形が一番重要で、構造は二番目なのです。普通はまず構造があってそこからフカして仕上げラインが出てくるものなので、僕はゲーリー事務所の建築創造のやりかた、その順序の逆転ぶりを聞いたときは、本当に驚きました。
佐々木──まさに《ビルバオ》は典型的な張りぼて建築であって、凡庸極まりない構造だと僕も思います。ただ、最近のゲーリーはそうではなくなってきていて、構造にも関心を抱き始めており、そこにすごく興味を持っていますし、可能性を感じます。
西沢──ゲーリーのものづくりは進化していますし、昔に戻っているところもあるような気もします。昔ゲーリーに会ったとき彼は、日本の木造建築の研究から始まったと言っていました。カナダ人なので木造から始めたんだ、というようなことを言っていました。そういう意味ではもともとは軸組から建築を発想していた人で、建築でも花瓶でも一緒という感じのザハ・ハディドとはずいぶん違います。ザハは形が目的化していて、それはそれでいい建築も出てくることがあるのでいいのですが、ゲーリーはもうちょっとハチャメチャというか、あまり形が目的になっていない開放感があります。ゲーリーがもともと軸組から始まっているというのも、僕は面白く感じています。
妹島──私は意見が逆で、佐々木さんも難波さんもおっしゃる通り、ゲーリーの構造は疑問です。《MIT Sata Center》は、全体を小さなピースに分けて、それらの関係がものすごく多様なところが魅力的で、それが構造的にも反映されています。《ビルバオ》では、ふかしているだけでしたが、いまは意匠と構造がもっと一体的になってきています。
佐々木──その理由は、ゲーリーの事務所のバックがしっかりしてきていることだと思います。ものすごく優秀なコンピュータ技術者がいて、どんどん密度が上がっています。そうしたテクノロジーをバックにしているのは強いよね。
難波──ARUPがさじを投げた風の乱気流のシミュレーションも、アメリカのバークレーにある事務所が解いたと自慢していました。その事務所がつくる建築はつまらないのですが、シミュレーションの力はすごいと思います。佐々木さんがこのようにゲーリーを分析されているので、今後また新しい展開があるのかもしれませんね。
会場──今日のタイトルは「ライト・ストラクチャーの可能性」でしたが、佐々木先生が構造を考える時に、日本的なものからのインスピレーションはあるのでしょうか。また、SANAAのおふたりは国際的に活動されているなかで、日本的なものを読み取られる場合があると思いますが、それについてはどう考えられていますか。
佐々木──僕は根っからの日本人で、戦後の日本が染み付いています。《飯田市小笠原資料館》は、障子みたいで日本的だという言われ方をしました。日本的なものを意識していたわけではありませんが、西欧流の厳格なトラスなどでは実現できない緩やかな日本的構造と空間のセットだったので、そうした構造への無意識的な嗜好があることを、海外の人から指摘されることはあります。
西沢──友人に、ヘルツォーク・ド・ムーロンの元パートナーのハリー・グッガーという人がいて、《ROLEXラーニングセンター》が出来たときに見せたら、「日本的だ」と感心していました。ほとんど日本の縁側のようだと。われわれとしてはずいぶん造形的なものができたなと思っていたので、縁側みたいと言われて驚きましたが、ただ、彼が言いたいこともわからなくもなかった。彼が言うには、光が上から垂直的に落ちてくるのではなく、横から、まるで縁側と障子を通して光が入ってくるように、間接的に入ってくる、ということでした。伊藤ていじが『日本デザイン論』(鹿島出版会、1966)で、日本の大工の撓み尺という、曲線を描く道具について書いています。直線をたわませてカーブができるという定規なのですが、伊藤ていじはその撓み尺を例にとって、日本では直線と曲線が同じ世界にあると言っていました。西洋では、円弧はいくら半径を大きくしていっても直線に近づくだけで、決して直線にはならない。たしかに自分たちがやりたい曲線というのは西洋的なものというよりは、直線だかカーブだかよくわからないものを目指しているような気もします。
難波──「日本的なもの」について一貫して論じ続けているのは磯崎新さんですね。磯崎さんは最初に世界に出た世代だからどうしても日本人としてのアイデンティティについて考えざるを得なかったのですが、われわれの世代以下はあまり言いませんよね。
妹島──私たちの場合は、自分から積極的に日本的とは言わないですが、向こうからよく日本的だと言われますね。
難波──それは彼らが谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(中公文庫、1933)を読み過ぎだからではないですか。
西沢──もしくは漫画の読み過ぎかも。
妹島──例えば《スタッドシアター・アルメラ》のアクソメは《洛中洛外図》に似ていると言われたりしました。
西沢──パースは中心点があって、絵の中心部は比較的正確に描けるのですが、絵の端のほうがものすごく歪んでしまうのです。ところが《洛中洛外図》のようなアクソメは、絵の端も中心も同じように描ける。《スタッドシアター・アルメラ》のような、部屋がいっぱいあっていろんな人間があちこちでわいわいやっているというような世界は、パースだと端のほうが大きくなって、真ん中が小さくなってしまって、うまく書けないので、自然とアクソメ的な表現になったのですね。
難波──ル・コルビュジエもアクソメを描いていました。オーギュスト・ショワジーはそれを「神の目」だと言っていましたが。
それでは、最後に一言ずつお願いします。
西沢──佐々木さんはやはり、エンジニアリングとアートが統合された方で、真に創造的な芸術家だと思います。佐々木さんとやるときは、「建築のゴールが決まっていない」と言うと佐々木さんは疑問に思うかもしれませんが、打ち合わせで出たアイディアが建築の新しい命になってさらに先をつくるという創造的な関係があるように思います。いろんな人間がぶつかり合ってつくりあげてゆく建築というフィールドは、そういう人間的なやりとりというものが、すごく重要な気がするのです。佐々木さんと打ち合わせをする度に批評性を感じ、別の価値観を感じて、すごく勉強になるし、いつもインスパイアされます。そういう佐々木さんの価値観の根本に、たいへんな美意識があり、われわれはそういうところに助けられています。
妹島──もう20年一緒にやっていただいますが、いまだに打ち合わせのときはすごく緊張します。西沢が言ったように、佐々木さんは美に対して私たちとは違う、明確なものをお持ちです。あるとき、佐々木さんは設備もやるとおっしゃったことがありましたが、そういうふうな展開が可能性として出てくるのは、すごくよくわかります。これからもいままで見たことがないものを佐々木さんと一緒につくっていきたいと思っています。
西沢──フィリッポ・ブルネレスキは、石の一つひとつを自分で発注していたそうです。建築はもともとアートもテクノロジーもすべて一体で、近代以降、分業化されましたが、逆に僕はそこに可能性も感じています。違う頭脳がぶつかり合うことは、すごく複雑で人間的な建築創造の手段だと思うのです。それがわれわれの時代であり、面白いところだと思います。
佐々木──大変身に余る言葉でありがたく思います。僕は70歳になり、高齢期を迎えていますが、ゲーリーよりもまだ若いです。今後も楽しくやりたいと思っています。
- 左から、難波氏、佐々木氏、妹島氏、西沢氏。
[2015年12月12日、法政大学55・58年館833教室にて]
201610
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2020-06-01