建築写真:五十嵐太郎IGARASHI Taro Photo Archives——イタリア
WebSite_10+1
IGARASHI Taro Photo Archives

プラハウィーンイタリアオランダ 1オランダ 2ベルリン1ベルリン2パリ 1パリ 2ロマネスク
ポルトガル蘇州ラスヴェガス横浜1

公開の原則と著作権について

建築を学ぶためには、読書をすることと、旅をすることが重要である。両者は補完し あう関係をもち、どちらかが一方的に持ち上げられるべきではない。筆者の編著による『READINGS1: 建築の書物/都市の書物』の冒頭において、以上のようなことを書いたことがある。実際、建築を学ぶようになってから、旅を多くするようになった。多くの場合、観光地と建築が重なるのは便利だったが。そして1990年頃から旅先では意識的にカメラをもっていき、記録のために、できるだけ建築物を撮影するようになった。2000年の現在、数えてみたら、スライドケースで400本近くの蓄積があることが判明した。少なくとも、1万4千枚にはなるだろう。膨大な数である。幸い、『10+1』のWeb版の開始にあたり、それらを公開してみてはという提案をいただき、スライドの整理をかねて、全体の半分程度を少しずつネット上に流すことにした。

公開にあたっては、以下の原則を設けた。

1——当Web上の画像をダウンロードして、設計の資料作成や学生のレポートなど、営利目的ではない個人的な利用のために使用する場合には、五十嵐太郎を含めて、全ての撮影者の許可を必要としない。
ただし、写真撮影者のコピーライト表示、
「©」+「氏名」——例《©Igarashi Taro》——を
明記すること。
2——商業目的の出版物などに使用する場合は、個別に対応するが、基本的には若干の写真使用料を課すこととし、事前の連絡と掲載された雑誌書籍を撮影者宛に寄贈することを条件とする。
3——上記の写真使用料は、アーカイブを継続し存続させていくための経費——主要には写真フィルム代および現像代に相当する実費——1点300円程度とする。
4——そのほか、オリジナルのポジフィルムなどの必要が生じた場合は、個別撮影者宛にその旨メールを送られたい。
また、アーカイブの写真の解像度は72dpiで以下の2種類のサイズで保存されている。
1——Web上で通常公開されているサイズ[長辺300pix(約10cm)]
2——ダウンロード用サイズ[長辺1400pix(解像度350dpi/約10cm)](準備中)

ネット時代において、このアーカイブは知的情報を共有し、建築写真の流通に変化を与えることを目指している。いわば美術館設立にあたり、基本コレクションを寄贈したのが筆者の役割とも考えられ、今後、足りない分野の写真を別の方からまとめて寄贈されることもありうるだろう。

なお、ボランティアに近い状況でアーカイブを公開するために、時間不足から幾分データに誤りが含まれているかもしれない。また建物の用途が変更されることもある。そうした場合、メールでご指摘いただければ、すぐに対応して修正したい。文字情報のフリーソフト運動として、複数の人間の参加により、「プロジェクト杉田玄白」や「青空文庫」などが進んでいるように、膨大な画像情報の共有も、ひとりの力だけでは成し遂げられないからだ。
[五十嵐太郎]
iga-taro@isc.chubu.ac.jp


Photo Archives 6 イタリア

ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラほか ヴィラ・ジュリア
 Villa Giulia

バルダッサーレ・ペルッツィ パラッツォ・マッシモ
 Palazzo Massimo
レオナルド・ダ・ヴィンチ 設計案に基づく模型
ドナト・ブラマンテほか ヴァチカンのヴェルヴェデーレ
 Belvedere, Vaticano
ピエトロ・ダ・コルトナ サンタ・マリア・デッラ・パーチェ
 
Santa Maria della Pace
ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ イル・ジェズ
 Il Gesu
カルロ・マデルナ サンタ・マリア・ディ・ヴィットリア
 Santa Maria di Vittoria
カルロ・マデルナ サンタ・スザンナ
 S. Susanna
ミケランジェロ・ブオナロッティ カンピドリオの丘
 Michelangero Buonarroti
カルロ・ライナルディほか サンタ・マリア・デイ・ミラコリ/サンタ・マリア・ディ・モンテサント
 Santa Maria dei Miracoli
 Santa Maria di Montesanto
カルロ・ライナルディほか サンタ・マリア・デイ・ミラコリ
  Santa Maria dei Miracoli
ジョヴァンニ・ロレンツォ・ベルニーニ サンタンドレア・アル・クイリナーレ
 S. Andrea al Quirinale
ジョヴァンニ・ロレンツォ・ベルニーニ サン・ピエトロ
 ミケランジェロ・ブオナロッティ サン・ピエトロ
 S. Pietro
フランチェスコ・ボッロミーニ パラッツォ・スパーダ
 S. Pietro
フランチェスコ・ボッロミーニ サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ
 S. Giovanni in Laterano
フランチェスコ・ボッロミーニ サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ
 San Carlo alle Quatro Fontane
フランチェスコ・ボッロミーニ コレッジオ・ディ・プロパガンダ・フィーデ
 Collegio di Propaganda Fide
フランチェスコ・ボッロミーニ パラッツォ・バルベリーニ
 Palazzo Barberini
フランチェスコ・ボッロミーニ サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ
 S. Ivo alla Sapienza
フランチェスコ・ボッロミーニ オラトリオ会
 Oratorio dei Filippini
カルロ・ライナルディほか サンタニエーゼ
 S. Agnese
フィリッポ・ラグッツィーニ サン・ティニャツィオ
 S. Ignazio
フィリッポ・ユヴァーラ ラ・スペルガ
 La Sperga
グァリーノ・グァリーニ パラッツォ・カリニャーノ
 Palazzo Carignano
サン・カルロ広場
 Piazza S. Carlo
ピエトロ・クラウディオ・ボッジョ サン・ピエトロ
 Chiesa di S. Pietro
コンフラテルニタ・ディ・サン・ガウデンツィオ
 Chiesa Confraternita di S. Gaudenzio
グァリーノ・グァリーニ サンテュアリオ・マドンナ・ディ・ロレート
 Santuario Madonna di Loreto
コンフラテルニタ・ディ・サンタ・マリア
 Chiesa Confraternita di S. Maria
サン・カテリーナ
 Chiesa di S. Caterina
ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネ サン・ベルナルディーノ
 Chiesa di S. Bernardio
Gius. Giac. Bays, Chiesa di S. Antonio Abete
ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネ サン・ミケーレ
 San Michele
ピエトロ・ロンバルド サンタ・マリア・デイ・ミラコリ
 Church of Santa Maria dei Miracoli

ピエトロ・ロンバルドほか スクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ
 Scuola Grande of San Marco

バルダッサーレ・ロンゲーナ サンタ・マリア・デッラ・サルーテ
 S. Maria della Salute
ジュリオ・ロマーノ パラッツォ・デル・テ
 Palazzo del Te
ジュリオ・ロマーノ ジュリオ・ロマーノ自邸
 Casa di Giulio Romano
レオン・バッティスタ・アルベルティ サン・セバスティアーノ
 San Sebastiano
Antonio Maria Viani サン・マウリツィオ
 Cniesa di San Maurizio
レオン・バッティスタ・アルベルティ サンタンドレア
 Sant'Andrea
パラッツォ・ドゥカーレ
 Palazzo Ducale
アンジェロ・クリヴェッリほか イゾラ・ベッラ
 Isola Bella
パンフレット
 Pamphlet

今回のアーカイヴについて】
今回は、私がプロデュースした菅野裕子の写真展「床から30cmのバロック展」(会場:D-net Cafe、会期:2001年3月14〜18日)をもとにしたアーカイヴを公表したい。展覧会では、イタリア、ウィーン、プラハのバロック建築を中心に30数枚を展示したが、「WebSite_10+1」に移行するにあたって、資料性を高めることを考え、ルネサンスからバロック期におけるイタリアの建築に限定し、3倍以上に枚数を増やした。ただし、パラディオの作品は、別の機会にまとめて紹介する予定なので、今回は除外している。展覧会のときに作成したパンフレットから、全体を俯瞰する文章と幾つかの作品解説も転載することにした。
なお、写真はすべて菅野裕子によるものであり、遠藤太郎氏に作品解説をいただいた。またこの場を借りて、最初の展示企画を快諾していただいた、萩原修と山本雅也の両氏に感謝の意を表わしたい。

五十嵐太郎


【ルネサンスからバロックにおける建築と音楽】
15世紀の建築の外壁は、計画案も含め、ほとんどは直線か円弧であり、円弧の場合は外側に膨らむ。そして建築は内部のひとつひとつの空間が完結し、互いに貫入しあうことがなく、全体もまた外部から独立している。
しかし、16世紀に入ると、バロックへの橋渡しをしたヴァチカン宮殿の《ヴェルヴェデーレ》(1513)のように、庭園に面する壁が凹型の曲面になっており、その上部が半ドームによってえぐられた建築が登場する。また《ヴィラ・マダーマ》(1525)や《ヴィラ・ジュリア》(1555)も、同様に半円形にへこませた壁を使う。馬蹄形の建築が庭園を受けとめる構成をもつ。これらの例では、ファサードのくぼみは前面に広がる空間によって満たされるものと考えられる。凹型の曲面が壁の外側に用いられていると、建築はあたかもその部分だけくり抜かれた不完全なものに見える。形態は自律していない。これは外部空間の存在によってはじめて補完される。しかし、外部の空間はモノではない。見えない休符としての空間である。不完全さ、すなわち形態の欠如は、空虚な存在を前提とした表現といえよう。ちなみに、実際に設計を行なう場合、こうした輪郭は作図上も、建物の外側にコンパスの中心を置かねばならない。施工にあたっても、おそらく外側から距離を計ることになる。つまり、外部との関係性により、内部が形成されるのだ。
17世紀には、外部に面して凹型の曲面をもつ建築が数多く設計された。バロックの建築では、内部と外部が相互貫入する。それ以前の自己完結したルネサンス期の建築に比べると、バロックは外部空間をより意識して作られた。ゆえに、形態の完結性を失う。バロックの時代に建築が外部の空間に対して開き、前面の広場や都市計画が積極的に提案されたのは偶然ではない。またバロックとルネサンスの比較研究から、空間の概念が注目されたのも当然だろう。ボルロミーニの作品を見よう。《サンタンドレア・デッレ・フラッテ》(1652)のドーム上部や《オラトリオ会時計塔》(1650)は、円柱の一部が大胆にそぎ落とされた残りの塊に見える。《サンティーヴォ聖堂》(1660)の頂部は規則的にえぐれており、中庭ファサードでは、凹型曲面の外壁が中庭空間を包む。《サン・カルロ聖堂》(1668)の波うつファサードは、下層が凹凹凹、上層が凹凸凹のパターンを激しく繰り返し、不完全な断片のようだ。《サンタニエーゼ聖堂》(1652)の正面は、凹型の壁をもち、矩形の塊から中央部分だけを円弧の型でナヴォナ広場側からくり抜く。つまり、外部と内部のインターフェイスが発生している。
グァリーニの《サン・ロレンツォ》(1680)の頂部も、へこんだ不完全な形をもつ。《パラッツォ・カリニャーノ》(1683)も凹凸凹の湾曲したファサードをもち、凸凹凸のヴォリュームがあれば、パズルのように組み合わせられる。グァリーニによる《フィリッポ・ネーリ》(1679[パンフレット表紙])の平面の突起部分は一見、不自然なものに思えるかもしれない。だが、周囲に円形を反復したパターンを補うと、なぜこの形態を導いたかが容易に理解できる(パンフレット裏表紙)。建築は無限に広がる空間のグリッドの一部なのだ。
バロック的な都市建築は、庭園ではなく、まわりの広場や道路に補われて完結する。例えば、《サンティニャツィオ広場》(1728)を囲む建物は、3つの仮想の楕円によって切りとられた形態をしている。つまり、不整形な壁面は、この広場に描かれた見えない楕円形の空間の輪郭線なのだ。バロックの建築は、広場の見えない空間を感じたときに初めて完全なものとして理解できる。ヴォリュームの一部が欠けた建築は、自律しえず、無限に広がる世界の一部として認識されるだろう。
15世紀の教会の外壁がおおむね直線か凸型であるのと同様に、宗教音楽は小節の途中から始まる曲は少なく、最初の音が鳴ったときが曲の始まりだった。いずれも自己完結した形態をもち、外部との関係性は薄い。が、16・17世紀になると、一般的に建築では凹型曲面の外壁が増え、音楽では小節の冒頭1拍目から開始せず、休符の後に鳴り始める曲が登場する。ともにそれだけでは何か欠如した印象を受容者にあたえるだろう。すなわち、建築の造形は外部の中心が生成する見えない幾何学によって空間をえぐりとられる。一方、音楽には沈黙が侵入し、不完全な断片となる。ゆえに、開かれた存在になった両者の内部は、見えない空間(外部の広場)や聴こえない時間(空白の拍子)という外部によって補完され、はじめて完結した存在となる。これらの不完全な建築と音楽は、目に見えるもの、あるいは耳に聴こえるものの実体を超えた客観的な指標を獲得して可能になった表現である。しかし、この不完全はより高度の完全性なのだ。それは無限に展開する絶対的な時間や空間の概念が確立したからこそなせる手法といえよう。つまり、(自律した)完全から(表層的な)不「完全」へ、というわけだ。


菅野裕子+五十嵐太郎「空間・時間・バッハ〜バッハを跳躍台として同時代の建築と音楽を考える」『季刊 エクスムジカ』1号、ミュージックスケイプ、2000年より抜粋、一部改稿。