【今回のアーカイヴについて】
今回は、私がプロデュースした菅野裕子の写真展「床から30cmのバロック展」(会場:D-net
Cafe、会期:2001年3月14〜18日)をもとにしたアーカイヴを公表したい。展覧会では、イタリア、ウィーン、プラハのバロック建築を中心に30数枚を展示したが、「WebSite_10+1」に移行するにあたって、資料性を高めることを考え、ルネサンスからバロック期におけるイタリアの建築に限定し、3倍以上に枚数を増やした。ただし、パラディオの作品は、別の機会にまとめて紹介する予定なので、今回は除外している。展覧会のときに作成したパンフレットから、全体を俯瞰する文章と幾つかの作品解説も転載することにした。
なお、写真はすべて菅野裕子によるものであり、遠藤太郎氏に作品解説をいただいた。またこの場を借りて、最初の展示企画を快諾していただいた、萩原修と山本雅也の両氏に感謝の意を表わしたい。
五十嵐太郎
【ルネサンスからバロックにおける建築と音楽】
15世紀の建築の外壁は、計画案も含め、ほとんどは直線か円弧であり、円弧の場合は外側に膨らむ。そして建築は内部のひとつひとつの空間が完結し、互いに貫入しあうことがなく、全体もまた外部から独立している。
しかし、16世紀に入ると、バロックへの橋渡しをしたヴァチカン宮殿の《ヴェルヴェデーレ》(1513)のように、庭園に面する壁が凹型の曲面になっており、その上部が半ドームによってえぐられた建築が登場する。また《ヴィラ・マダーマ》(1525)や《ヴィラ・ジュリア》(1555)も、同様に半円形にへこませた壁を使う。馬蹄形の建築が庭園を受けとめる構成をもつ。これらの例では、ファサードのくぼみは前面に広がる空間によって満たされるものと考えられる。凹型の曲面が壁の外側に用いられていると、建築はあたかもその部分だけくり抜かれた不完全なものに見える。形態は自律していない。これは外部空間の存在によってはじめて補完される。しかし、外部の空間はモノではない。見えない休符としての空間である。不完全さ、すなわち形態の欠如は、空虚な存在を前提とした表現といえよう。ちなみに、実際に設計を行なう場合、こうした輪郭は作図上も、建物の外側にコンパスの中心を置かねばならない。施工にあたっても、おそらく外側から距離を計ることになる。つまり、外部との関係性により、内部が形成されるのだ。
17世紀には、外部に面して凹型の曲面をもつ建築が数多く設計された。バロックの建築では、内部と外部が相互貫入する。それ以前の自己完結したルネサンス期の建築に比べると、バロックは外部空間をより意識して作られた。ゆえに、形態の完結性を失う。バロックの時代に建築が外部の空間に対して開き、前面の広場や都市計画が積極的に提案されたのは偶然ではない。またバロックとルネサンスの比較研究から、空間の概念が注目されたのも当然だろう。ボルロミーニの作品を見よう。《サンタンドレア・デッレ・フラッテ》(1652)のドーム上部や《オラトリオ会時計塔》(1650)は、円柱の一部が大胆にそぎ落とされた残りの塊に見える。《サンティーヴォ聖堂》(1660)の頂部は規則的にえぐれており、中庭ファサードでは、凹型曲面の外壁が中庭空間を包む。《サン・カルロ聖堂》(1668)の波うつファサードは、下層が凹凹凹、上層が凹凸凹のパターンを激しく繰り返し、不完全な断片のようだ。《サンタニエーゼ聖堂》(1652)の正面は、凹型の壁をもち、矩形の塊から中央部分だけを円弧の型でナヴォナ広場側からくり抜く。つまり、外部と内部のインターフェイスが発生している。
グァリーニの《サン・ロレンツォ》(1680)の頂部も、へこんだ不完全な形をもつ。《パラッツォ・カリニャーノ》(1683)も凹凸凹の湾曲したファサードをもち、凸凹凸のヴォリュームがあれば、パズルのように組み合わせられる。グァリーニによる《フィリッポ・ネーリ》(1679[パンフレット表紙])の平面の突起部分は一見、不自然なものに思えるかもしれない。だが、周囲に円形を反復したパターンを補うと、なぜこの形態を導いたかが容易に理解できる(パンフレット裏表紙)。建築は無限に広がる空間のグリッドの一部なのだ。
バロック的な都市建築は、庭園ではなく、まわりの広場や道路に補われて完結する。例えば、《サンティニャツィオ広場》(1728)を囲む建物は、3つの仮想の楕円によって切りとられた形態をしている。つまり、不整形な壁面は、この広場に描かれた見えない楕円形の空間の輪郭線なのだ。バロックの建築は、広場の見えない空間を感じたときに初めて完全なものとして理解できる。ヴォリュームの一部が欠けた建築は、自律しえず、無限に広がる世界の一部として認識されるだろう。
15世紀の教会の外壁がおおむね直線か凸型であるのと同様に、宗教音楽は小節の途中から始まる曲は少なく、最初の音が鳴ったときが曲の始まりだった。いずれも自己完結した形態をもち、外部との関係性は薄い。が、16・17世紀になると、一般的に建築では凹型曲面の外壁が増え、音楽では小節の冒頭1拍目から開始せず、休符の後に鳴り始める曲が登場する。ともにそれだけでは何か欠如した印象を受容者にあたえるだろう。すなわち、建築の造形は外部の中心が生成する見えない幾何学によって空間をえぐりとられる。一方、音楽には沈黙が侵入し、不完全な断片となる。ゆえに、開かれた存在になった両者の内部は、見えない空間(外部の広場)や聴こえない時間(空白の拍子)という外部によって補完され、はじめて完結した存在となる。これらの不完全な建築と音楽は、目に見えるもの、あるいは耳に聴こえるものの実体を超えた客観的な指標を獲得して可能になった表現である。しかし、この不完全はより高度の完全性なのだ。それは無限に展開する絶対的な時間や空間の概念が確立したからこそなせる手法といえよう。つまり、(自律した)完全から(表層的な)不「完全」へ、というわけだ。
菅野裕子+五十嵐太郎「空間・時間・バッハ〜バッハを跳躍台として同時代の建築と音楽を考える」『季刊 エクスムジカ』1号、ミュージックスケイプ、2000年より抜粋、一部改稿。