社会の課題から東南アジアの建築を考える

村松伸(建築史・都市史)+山名善之(建築史・意匠学)+岩元真明(建築家)+市川紘司(中国近現代建築史)

[座談]
グローバリゼーションあってこそのソーシャル・エンゲージメント・アーキテクチャー?

岩元真明──市川さんの発表で出てきた「ソーシャル・エンゲージメント・アーキテクチャー」(以下SEA)の取り組みは世界各国で見られます。SEAは、グローバリゼーションに対抗する運動のように語られがちですが、結局のところSEAもスターアーキテクトと同じくグローバリズムの産物なのかもしれません。

山名善之氏
山名善之──そのとおりだと思います。しかし、スターアーキテクトは、ここ数年その限界が指摘されてきました。例えば今年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したスペイン館では、2012年のスペイン経済危機により建設途中で頓挫したスターアーキテクトによるプロジェクトの写真が展示されていました。完成しなかった「建築作品の墓場」を展示して金獅子賞を受賞するとは、残酷な賞の取り方だと感じましたが(笑)、スターアーキテクトの次に成功する建築家はどのような人たちでしょうか。
私はスターアーキテクト・システムの代わりにSEAが建築の主流となるとは思えません。スターアーキテクトが都市部で巨大な建築をつくっているからこそ、SEAのように小さな活動が行なえるからです。それでは、近代的枠組みから逃れられたとは言えません。つまりスターアーキテクトとSEAはどちらも近代資本主義に基づいており、どちらかが立ちゆかなくなればどちらも失敗してしまう。これから私たちは、ヨーロッパがつくりあげた近代的な呪縛から抜け出す方法を考えていかなければなりませんが、それがはたして可能かということを今日は考えたいですね。

村松伸──陳冠華について市川さんが挙げられていた批判的地域主義としての特徴やヴァナキュラーな建築の魅力は、他国の建築に対して感じる典型的なものですね。この「オリエンタリズム」の建築版から脱却した見方を提示できるとよいと感じました。

山名──村松さんの発言を補足すると、批判的地域主義はヨーロッパのモダン・ムーヴメントが世界に伝搬したあと、それぞれの地域が批判的にどのような活動を行なっているかという視点に基づいています。近代建築批判ではありますが、ヨーロッパのモダンを世界がこれからも追い続けるという構造を信じ続けているように思えます。その見方ではアジア特有の建築を見出すことが難しく、どこでも同じようなことが言えてしまいます。

市川──今のところ、陳冠華さんの建築はきわめて批判的地域主義的なものだと思っていて、その意味で枠組自体を刷新するようなものとしては見れていません。今回はこの批判的地域主義の新しい事例として取り上げましたが、おっしゃるとおり発展した見方を考えたいと思っています。

村松──建築家や都市計画家が政治的、経済的な課題をどのように解決しているかを考えることが重要かと思います。台湾の人々が持つ「社会の課題」から彼らの建築を考察するとどう見えるでしょうか。課題は場所によって違いますから、批判的地域主義のフレームとは異なった場所ごとの特徴が見えてくるかもしれません。

山名──「社会の課題」は、今日の座談のテーマのひとつになってくるかと思います。建築家が解こうとしている社会の課題は、かつての大きな課題からより小さな課題へと変わってきている感じがします。1960−70年代の丹下健三や下河辺淳には、戦後復興や近代的な都市構想など国家的な課題が明確にありました。他の国でも同じですが、彼らは国を背負って建築や都市をつくろうとしていました。しかし、その姿勢は現代的ではありません。中国は最近まで国家的建築を目指していましたが、それも終焉を迎えつつあります。それよりも身近で具体的な課題を解こうとする姿勢がSEAなのかもしれません。SEAとアジアの問題がどのようにリンクしてくるのかを考えると面白そうですね。

市川紘司氏
市川──SEAの事例として取り上げた黄声遠の活動は、とてもうまくいっているように見えました。「よく使われている」というような建築の社会的な意味だけでなく、彼らの建築作品がそこに建っていることが非常に自然に見える。個別に見れば実際のディテールはかなり粗いんですが、空間自体が開放的なので許容できます。首都から離れた地方都市で行なわれているので、彼らの建築はユートピア的な実験です。今回は台湾の「大都市=西部」ではない東部の建築、という見方で紹介したのですが、私自身はあまり大都市の建築を諦めて地方へ、田園へ、というような考えはあまりしていません。むしろフィールドオフィスの建築を可能にしている地方都市の条件を精緻に調べていくなかで、それがどのように大都市の部分的なコミュニティで展開できるかを考えてみたい。

山名──展開可能ではないかもしれませんよ(笑)。なぜなら「都市」という考え方そのものが近代経済の原則を含んでいるからです。それをどこかで投げ出さなければ、次のフェーズに進むことはできません。

村松──そうですね。都市部にもSEAはありますが、スラムエリア、あるいはスモールビジネスに集中しがちです。スラムでの暮らしや屋台での商売は、外部の目からみるとエキゾチックで魅力的に映るからでしょう。たしかにそこに住む人々の環境改善としては有効で、ボトムアップ式に徐々に全体が変わっていくという見方をする人もいますが、私自身は、都市全体の改善策としては、メインストリームではなくあくまでもオルタナティヴなものだと考えています。
経済学の論理における都市は、農業や漁業、林業などの第一次産業から、製造業、加工業である第二次産業、そしてサービス業などの第三次産業の順に発展するとされています。しかし新興国の都市は第二次産業が抜け落ちたまま発展している。経済を回していくためには第二次産業を発展させなければいけないのですが、その問題に建築分野から取り組んでいる人はほとんどいません。

「モダン・ムーヴメント」が目指した世界

山名──村松さんの話に出てきた「モダン・ムーヴメント」とは、何を指すのか、一旦整理しておきたいと思います。DOCOMOMOはヨーロッパから発生したモダン・ムーヴメントを調査・保存する国際組織として設立されました。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、CIAMに参加していた建築家らは、出版物によって自らの美学を広めて賛同者や出資者を得て、世界に自分たちの建築運動を広げようとしました。こうした取り組みに通底しているのが「工業化の美学」であると私は考えています。フォルマリスティックな考え方をすれば、外壁が白くフラットルーフを持つ建物のことを指します。

村松──では、彼らはどのような「社会の課題」に応えようとしていたのでしょうか。

山名──CIAMが課題としていたのは住宅政策です。具体的には、第一次世界大戦後の住宅供給システムの構築ですね。住宅不足に応えるだけでなく、これまでの住宅をいかに近代化するかも課題でした。ここでいう「近代化された住宅」とは、健康で文化的な生活を送るための住宅ですね。

村松──住宅の「量と質の向上」を目指していたということですね。

山名──そのとおりです。そうした取り組みは破綻してしまいましたし、まさに批判的地域主義が批判した対象でもあります。しかし、今年の第15回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展でキュレーターを務め、他国の建築家や研究者と話すなかで、いまだに近代的な考え方にとらわれている人々が一定数いることに驚きました。例えば住宅不足に対し、容積率の高い公共住宅を提案する傾向です。すでに問題も多く、出口がないことがわかっている構造的、階層的な思考を無自覚に続けている限りは何も答えが出てきません。批判的地域主義もそうですが、ヨーロッパ中心史観から脱することが重要です。

村松──その考え方は非常によくわかるのですが、では実際にどのような歴史観があるのかを提示することはとても難しい。私はそのことを指摘するよりも、射程の長い視点をもって自分で書きたい。建築や建造環境全般についての全地球史をつくることが私の課題です。

ヨーロッパ的史観──ジェネリックシティからの脱却

山名──ヨーロッパ中心史観から抜け出さないといけないと言いましたが、とはいえ、私自身は長年フランスで近代建築を研究してきたので、そう簡単には抜け出せません。非ヨーロッパ圏での研究は、もともと批判的地域主義的なフレームから考えていました。例えば北アフリカの旧フランス領の調査では、ヨーロッパ資本が入ったことによって近代化したという前提をもとにしていました。アジアでの調査研究もまったく同じ視点で取り組めると考えていましたが、しかしアジアへ通いはじめると、ヨーロッパ的な視点から脱却しないと見えてこないものがあることがわかってきました。アジア、特に東南アジアのモダン・ムーヴメントは自発的です。旧フランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)では、フランス占領下で同化政策が行なわれました。この時代の西洋建築は、典型的な植民地のつくられ方です。しかしカンボジア独立後、自国の建築家ヴァン・モリヴァンらによって建てられた建築物は、西洋由来のモダン・ムーヴメントではあっても、カンボジアが自発的につくったものです。岩元さんの話にもありましたが、ヨーロッパ覇権的な考え方ではなくナショナル・アイデンティティを象徴するものとして、モダン・ムーヴメントが選ばれているのです。
DOCOMOMOは、1990年にオランダのアイントホーヘンに設立されて以降、代々ヨーロッパに本部が置かれてきました。しかしヨーロッパを拠点にしているかぎり、モダン・ムーヴメントはヨーロッパから波及したひとつの運動として完結してしまいます。そうではなく、より広範な研究へしていくためには、村松さんが言うところの小文字の「modern」をつぶさに見ることが重要です。ヨーロッパ覇権主義がモダン・ムーヴメントの端緒であることは事実です。しかしそれだけではなく、各国の近代形成を観察し、かつ地球レベルで考察できれば、将来の可能性にもつながっていくと思います。

岩元──欧米諸国や日本の現在が近代化のゴールなのでしょうか。東南アジアやアフリカの新興国が、欧米や日本が辿った道から枝分かれして、独自の場所へ行き着く可能性はあるか。ここに設計者として興味を持っています。
私がアジアに興味を持ったきっかけは、レム・コールハースです。彼はグローバルに均質化された都市を指して「ジェネリック・シティ」と呼び、その典型を熱帯に見出しています。そのような場所を体験したいという思いもあり、数年間ベトナムのヴォ・チョン・ギア・アーキテクツで設計に携わりました。ベトナム最大の都市であるホーチミンは、確かに一見すると捉えどころがなく、典型的なジェネリック・シティと言えなくもないのですが、実際に住んでみると近代的なビルにも固有性がありますし、20世紀初頭のコロニアル建築、南ベトナム時代のアメリカの影響、南北統一後のソヴィエトの影響、1980年代の自由化政策以降のグローバルな影響など、異質なものが独特の混ざり方をしていると感じました。

村松──インターナショナル・スタイルを目指したのがモダン・ムーヴメントだとは言っても、実際には各国で異なる動きが見られます。さまざまな課題が入り混じっているので一見似たように感じますが、うまく解きほぐしていく作業が必要です。
モダン・ムーヴメント以前のフランスのボザールやイギリスのフリークラシックなどは権力、権威を誇示する装置でした。中国はアメリカン・ボザールの時代に海外で建築を学んだ人が多かったため、ボザール建築が多く残っています。あるいは、辰野金吾はイギリスで学んだ様式を権威付けのために用いました。こうした建築は様式論のみに関わってきます。しかし本来建築は、課題に対してどう答えられるかを考えなければいけない。モダン・ムーヴメントは、そもそもの発端に社会的課題の解決が目指されていたために、それぞれの国が持つ課題を解決する方法として力強いのでしょう。

  1. [市川紘司プレゼンテーション]台湾東部の建築動向
  2. [岩元真明プレゼンテーション]東南アジアの現代建築
  3. [村松伸プレゼンテーション]東南アジアの近代建築を捉えなおす
  4. [座談]グローバリゼーションあってこそのソーシャル・エンゲージメント・アーキテクチャー?/「モダン・ムーヴメント」が目指した世界/ヨーロッパ的史観──ジェネリックシティからの脱却
  5. 国民(ネーション)と国家(ステート)/東南アジアの未来/地球全体の問題に答える

201610

特集 グローバリズム以降の東南アジア
──近代建築保存と現代都市の構築


社会の課題から東南アジアの建築を考える
マレーシア・カンボジア・シンガポール紀行──近現代建築の同質性と多様性
インドネシア、なぜモダニズムは継承されるのか
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