美術と建築、美術と戦争
Ed.Peter Noever, Donald Judd : Architecture, Hatje Cantz Publishers, 2003.
Donald Judd, Dietmar Elger, William .C.Agee, Martin Engler, Donald Judd : Colorist, Cantz, 2000.
Ed.Paul Moorhouse, Bridget Riley, Tate Publishing, 2003.
Hiroshi Sugimoto, Francesco Bonami, Marco De Michalis, John Yau, Sugimoto: Architecture, Distributed Art Publishers, 2003.
Richard Meier, Richard Meier: The Architect As Designer and Artist, St.Martin's press, 2004.
アメリカ人アーティスト、ドナルド・ジャッドは、ミニマリズムを代表する存在であるが(しかし、実際には彼自身はミニマリストとして括られることを一貫して拒否していたようだが)、我々がすぐに思い起こす単純化された立体作品群のほかに、彼はいわゆる「建築的」作品を構想し続けていたことも、今日ではよく知られるようになっている。
『Donald Judd: Architecture』は、数あるジャッドの作品集のなかでも、そうしたアーティストの建築的側面に焦点を当てた作品集である。彼は、「幼い頃からつねに建築に興味を抱いていた」と語る一方、クライアントや社会とは自分は折り合いをつけられないと考え、建築家へと進む道はあきらめた。よって、この作品集にも建築のスケッチのようなものも含まれているが、いわゆる注文を受けて建築を作る事はしていない。それでも、構築物をつくること、空間の構成をすることは、つねに彼の関心の大きな部分を占めており、ここには、展示スペースへと転用された使われなくなった兵舎や、机や椅子といった家具のプロジェクトが集められている。それらは、ため息をつくほど精確に作られ、そして注意深く配されている。少しでもこうしたことを実践しようと試みたことがある者には、よくわかるであろうが、シンプルであることは、実際には大抵退屈になりがちである(ロヴァート・ヴェンチューリが、ミース・ファン・デル・ローエの「Less is more.」をもじって、「Less is bore.」といったように)。よって、ジャッドの作品がもたらす緊張感は、我々には深い謎であり、それゆえに彼の作品は崇高に感じられる。そして、もちろんこういった美しい図版を眺め、ジャッドの世界に浸ることもいいのだが、じつはこの本は決してそれだけではない。まずは、ジャッド自身による「Art and Architecture」というテキストは、1983年にイエール大学にて行なわれたレクチャーをもとにしたものであるが、美術と建築の関係を直接説明するものではなく、これらに関する断章といったもので、かなり理論的に彼のアートに対する姿勢を示している(ジャッドは、コロンビア大学で哲学と美術史を学び、彼のキャリアは美術評論家として始まった。ちなみに、『a+u』2002年1月号にも同名のテキストの翻訳「Art and Architecture(美術と建築)」が掲載されているが、これはまた別のテキストであり、こちらでは彼が生涯どのように建築に対してきたのかが綴られている)。また、同じくジャッドによるテキスト「Nie Wieder Krieg(Never again war の意)」は、彼の戦争に反対する明確な態度を示している。しかしなぜアーティストの作品集にこのような文章があるのかといぶかしく思われるかもしれないが、それは美術は生活そのものであり、我々の生そのものであるという、彼の哲学から来るものだとだけは指摘しておこう。ついでながら、この本は最初1991年に湾岸戦争開戦の直前にドイツ語で出版され、昨年新たな図版、テキストを加え、ドイツ語、英語のバイリンガル版として再発行された。ジャッドの戦争に関する上記のテキストが英語に翻訳されるのは初めてであり、また編集を担当したピーター・ノエヴァー(Peter Noever)による「Art and War(美術と戦争)」というテキストも加えられた。もちろん、この時期の発行は、イラク戦争に合わせたと見るのが妥当であろう★1。
もうひとつ、ジャッドに関するチャーミングな本を紹介しておこう。『Donald Judd: Colorist』 は、ジャッドの作品で使われている色に注目して構成された、同名の展覧会に合わせて出版されたものである。「素材、空間、そして色彩が、ヴィジュアル・アートにおける主要な様相である」と本人が書いている通り、こうしてあらためて見返すと、ジャッドの作品における色彩の重要性に気づかされる。そして、それらの色のまた美しく、正確なこと!建築家からすれば、どうしても彼の端正な形にばかり目が行ってしまうが、このように空間を作るにあたって、色の役割というのはかくも重要だということがわかる。
参考までにジャッドの関連図書を挙げようと思うが、とにかく出版点数が多いなか、1999年に埼玉県立美術館で開催された際に発行された日本語のカタログ『Donald Judd selected works 1960-1991』が、初期から晩年までの作品を網羅し、丁寧な解説文と詳細な年表があり、どれか一冊をと聞かれれば、これをお勧めする。また、今年の初めにロンドンのテート・ギャラリーでも、ジャッドの回顧展が開催され、それにともないカタログ『Donald Judd』が出版されている。こちらは未見なので、内容の紹介はできませんが。また、ジャッドの晩年の活動の中心となった、チナティ財団のウェブサイトを参考までに、ご覧ください(The Chinati Foundation:http://www.chinati.org/english2/index.htm)。
『Bridget Riley』は、イギリス人の画家、ブリジット・ライリーの最近作までを含めた作品集である。彼女は昨年、建築家レム・コールハース、指揮者のクラウディオ・アバドらとともに「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞したし、また森美術館の「ハピネス」展に2点出品していたので、それらを覚えている方もいるであろう。彼女は、オプ・アートと呼ばれる視覚をモチーフにした作品の第一人者としてよく知られるが、彼女もまたジャッド同様、そうしたグループに括られるのは好まないようだ。いずれにせよ、60年代、70年代に流行したオプ・アートは、近年またリヴァイヴァルし取り上げられることも多いが、最近の建築のトレンドと彼女の作品の親密性を考えてみるのも無駄ではないようだ。妹島和世による《hhstyle.com》のファサードは、ライリーの波模様の作品に酷似しているし、青木淳が一連の《ルイ・ヴィトン》の店舗のファサードで採用しているさまざまなパターンも、ライリーと関心が平行していると言っていいだろう。平面に特殊なパターンを施すことにより、時には立体にも見えるような視覚的イリュージョンをもたらすのがライリーの作風であるが、そもそも立体である建築の表面に集中し、そこに3次元的幻視を試みている現代建築は、さらに手が込んでいると言えるのであろうか。
杉本博司もまた、水平線や劇場を撮った写真のシリーズや、一昨年直島に《護王神社》を完成させたように、空間や建築に一貫した関心を払っているアーティストである(あまり知られていないと思うが、ピーター・ズントーの《ブレゲンツの美術館》の中に、仮設の能舞台を設えたこともある)。『Sugimoto: Architecture』は、そうした彼が近代、現代建築を撮った写真集である。ほかの彼の写真同様すべてが白黒であるが、きわめて解像度が高いポートレートシリーズなどとは対照的に、すべての写真がその建物だと認識できるすれすれまでぼやけたイメージとなっている。選ばれた建物(ブルックリン・ブリッジやエッフェル塔も含むが)はみな、すでに見慣れてイコン=偶像となったものばかりが選ばれているが、それらの存在やそれらへの認識を問うているのであろうか。
15年くらい前、ロンドンの小さなギャラリーで、建築家リチャード・マイヤーのコラージュ展を観た。クルト・シュビッタース風の彼のコラージュは、発表されているのをほとんど見かけないが、マイヤーは毎晩寝る前に必ずひとつコラージュを作るという噂を、その頃聞いたことがある。多忙を極めながらも、日々の自分の感性を磨くことを怠らず、かつ楽しみながらコラージュに取り組むこの建築家の姿勢に当時憧れたものだった。その際に発行された『Richard Meier Collages』は長らく入手困難であったが、このたび同じ出版社からそのほかの家具や食器等の作品も含め『Richard Meier: The Architect As Designer and Artist』として、新たに出版された。マイヤーの、建築以外のデザイン活動をまとめた本である。
★1──テキストに限っていえば、ジャッドの建築に対する考えを示した文章は、大島哲蔵訳『ドナルド・ジャッド-建築』(ギャラリーヤマグチ、2000)に集められている。また、同じく大島による「ミニマリズムとアーバニズム──Donald Judd in Marfa」(大島哲蔵『スクウォッター 建築×都市×アート』学芸出版社、2003)は、ジャッドと建築の関係を問うすぐれた論考である。
[いまむら そうへい・建築家]