エピソード──オランダより意欲的な出版社がまたひとつ

今村創平
Five Minutes City

Winy Maas, Five Minutes City: Architecture of (Im)mobility, Episode Publishers, 2006.

Hunch 11

Hunch 11: Rethinking Representation, Episode Publishers, 2007.

Game Set And Match II

Game Set And Match II: The Architecture Co-laboratory on Computer Games, Advanced Geometries, and Digital Technologies, Episode Publishers, 2006.

1990年代から、オランダの現代建築のシーンから目が離せなくなったことは、たびたび指摘されてきた。それは、いくつかの要因が重なっておきたのであって、レム・コールハース(OMA/AMO)やMVRDV、ベン・ファン・ベルケル(UN STUDIO)、クラウス・エン・カーン、ヴィール・アレッツなどなどといった才能ある建築家が、同時期に魅力的な建築やプロジェクト、リサーチなどを次々に発表し★1、ベルラーヘ・インスティテュートといった先鋭的な教育機関が世界中から優秀な学生を集め、オランダ建築協会(NAI)は、数多くの意欲的な建築の展覧会やイヴェントを企画した★2。そうしたことと、行政の方針や経済の活況がシンクロし、新しい建築や都市計画を生み出す契機となり、また社会全体が建築を考えるという風土を構築した。加えて、意欲的な出版社が、次々と優れた、場合によっては実験的な建築図書を数多く世に送り出したことも、見逃せない。特筆すべき出版社としては、NAIの出版部門である、Nai Publishers と010 Publishers とがあり、また一度この連載でも紹介した、オランダの伝統ある建築雑誌『Archis』とOMAがコラボレーションしたことで話題となった『Volume』という雑誌も、こうしたオランダ発の重要なメディアである★3
そうしたなか、2002年に新しく誕生したのが、エピソードという出版社である。アート、カルチャー、建築、科学というジャンルを扱っているが、それらを横断する本も作ろうとしている。この出版社は、1968年生まれのEleonoor Jap Samと1964年生まれのNina Postの2人組みによって始められ、つまり彼らが30代のなかごろという年齢で出版社を起こし、以来これまで意欲的な数多くの本を出版しているのである★4

エピソード社がこれまで手がけた建築の本で、おそらく日本の読者にもっとも関心が高いであろうものは、MVRDVのヴィニー・マース編『Five Minutes City』であろう。これは、オランダのベルラーヘ・インスティテュートとパリのフランス建築協会とバルセロナのミース・ファン・デル・ローエ財団とが共同主催し、2002年にロッテルダムで行なわれた5日間のワークショップの記録である。この年は、ヴィニー・マースがワークショップ・マスターとして招待され、彼が用意したテーマが、ファイブ・ミニッツ・シティである。これはどういうことかというと、都市を、移動する時間によって把握/定義しなおそうという試みであり、選ばれたふたつの都市、ロッテルダムとニューヨークにおいて、それぞれ、歩行者、自転車、車、公共交通機関を使って、5分もしくは60分という時間のなかで、いかにその都市を使うかという課題である。その記録であるこの本の構成としては、前半は、このテーマに即していると思われるMVRDVのプロジェクト(もしくは都市に対処するツール)が20ばかり紹介され、後半は学生のプロジェクトと、それへのディスカッションが収められている。テーマ設定も、またそこから生み出されるプロジェクトも興味深いが、そのあとのディスカッションもきちんと収録されているのが、こうしたワークショップの記録や学生の作品集としては、貴重なことだと思う。

また、ベルラーヘ・インスティテュートの年ごとの出版物『hunch』もこのエピソード社によるものだ。この毎年出版される本は、前半にその都市にあるテーマを持って行なわれた連続講義が記録され、後半に学生のプロジェクトや学校の活動の記録などが集められるという基本的な体裁があるが、かなり分厚い特別号も過去には出されている。こうしたベルラーヘなどの建築学校で行なわれる連続講義というのは、かなり内容の充実したもので、例えば、最新号の目次を見ると、ピーター・アイゼンマン、R・E・ソモル、ベン・ファン・ベルケル、チャールズ・ジェンクス、ジェフリー・キプニス、シルヴィア・レイヴァン、スタン・アレンなど、そうそうたるメンバーの名前が並んでいる。こうした贅沢なレクチャーを毎週聴ける学生は本当に羨ましいが、こうして記録されることで、われわれも読むことができるのである。ちなみに、過去3年分のテーマを挙げておこう。2007年は「rethinking representation」、2006年は「mediators」、2005年は「disciplines」となっている。

そして、エピソード社から、もう一冊挙げるとするならば、昨年出版された『Game Setand Match II』は出色であろう。これは、昨年春にデルフト工科大学で開催された、同タイトルのコンファレンスにともなって出版された本で、細かい文字組みで600ページの厚さを誇る。内容としては、世界中から集められたIT技術、デジタル・デヴァイスなどと建築、空間との関連を考察した70あまりのテキストからなる。全体が、Game、Set、Matchの3つのカテゴリーに分けられ、Gameのカテゴリーはゲームや映画などの仮想空間の考察についてなど、Setのカテゴリーはデジタル・デヴァイスによって進化を続ける幾何学の問題について、Matchはオープンソースひいてはネットワークの問題を扱っている。とはいうものの、これらのジャンルのさまざまな研究や実験が簡単にカテゴライズできるわけでもないので、こうした分け方は便宜的なものといっていいだろう。いずれにしても、今世界中で試みられているデジタルと建築に関する研究をかなり網羅的に扱っており、現時点での事典のような役割も果たす本といえよう。

気になることを挙げるとすれば、まさしく大学や研究機関など世界中からの報告が集められるなかで、日本発のものが一点も入っていないことだ。ネット社会の恩恵としては、日本は世界と同調して、世界水準以上のものを日々享受しているものの、建築においては大きく出遅れていると言い切って差し支えない現状をこの本ははっきりと示している。本の中にあるいくつかの発表は、明らかにある予算規模がないとできない研究であるが、日本ではそうした財政的バックアップも期待できないのだろう。この世界の潮流と日本との断絶が、今後どのような状況を生み出すかは、もう少し成り行きを見守るしかないのだろうか。
例えば、この本ではゲーム空間に多くのページが割かれているが、コンピュータ・ゲームといえば日本のお家芸である。しかし、それを空間の問題としてシリアスに論じるというような試みは、筆者の知る限り建築業界にはない。ゲームは、一部オタクのものだけではなく、グーグルアースなど、ヴァーチュアルな体験は日々増えている。そのことがわれわれの空間認識をどのように変えているかについては興味深いテーマだと思う。一方で、これだけデジタルな環境が発展し、日々われわれを取り巻く傾向を強めるなかで、こうしたものにどう可能性があって、結果われわれをどこに連れて行くのかという議論には、多くの人が関心を持つだろう。しかし、テクノロジーの自律的進化が早すぎてそれについていくのが精一杯であり、相対化して考える余裕など持てないでいるのかもしれない。であれば、とりあえずこの本の任意の箇所をめくってみれば、どこから考え始めればいいかという、発想の端緒は見つかるかもしれない。

★1──
OMA|URL=http://www.oma.eu/
MVRDV|URL=http://www.mvrdv.nl/_v2/
UN STUDIO URL=http://www.unstudio.com/
クラウス・エン・カーン|URL=http://www.clausenkaan.com/
ヴィール・アレッツ|URL=http://www.wielaretsarchitects.nl/
★2── ベルラーヘ・インスティ・チュート|URL=http://www.berlage-institute.nl/
オランダ建築協会|URL=http://www.nai.nl/e/index.html
★3── Nai Publishers|URL=http://www.naipublishers.nl/
010 Publishers|URL=http://www.010publishers.nl/
★4──2人のそれ以前の経歴について簡単に記しておくと、Eleonoor Jap Samは、1998年から02年まで、ドコモモ・インターナショナルのディレクターを務め、Nina Postは1992年から02年まで、010 Publishersで働いていた。今回、ここでは、建築の本を中心に紹介するが、興味がある向きは、この出版社のWebサイトでほかのジャンルの本もチェックすることをお薦めする。URL=http://www.episode-publishers.nl/

[いまむら そうへい・建築家]


200706

連載 海外出版書評|今村創平

今となっては、建築写真が存在しないということはちょっと想像しにくい西洋建築史における後衛としてのイギリス建築の困難とユニークさ独特の相貌(プロファイル)をもつ建築リーダーとアンソロジー──集められたテキストを通読する楽しみ建築家の人生と心理学膨張する都市、機能的な都市、デザインされた都市技術的側面から建築の発展を検証する試み移動手段と建築空間の融合について空に浮かんだ都市──ヨナ・フリードマンラーニング・フロム・ドバイ硬い地形の上に建物を据えるということ/アダプタブルな建築瑞々しい建築思考モダニズムとブルジョワの夢セオリーがとても魅力的であった季節があって、それらを再読するということレムにとって本とはなにかエピソード──オランダより意欲的な出版社がまたひとつ建築(家)を探して/ルイス・カーン光によって形を与えられた静寂西洋建築史になぜ惹かれるのか世代を超えた共感、読解により可能なゆるやかな継承祝祭の場における、都市というシリアスな対象日本に対する外部からの視線深遠なる構造素材と装飾があらたに切り開く地平アンチ・ステートメントの時代なのだろうか?このところの建築と言葉の関係はどうなっているのだろうかドイツの感受性、自然から建築へのメタモルフォーシスリテラル、まさにそのままということを巡る問いかけもっと、ずっと、極端にも遠い地平へ強大な建造物や有名な建築家とは、どのように機能するものなのか素顔のアドルフ・ロースを探して住宅をめぐるさまざまな試み手で描くということ──建築家とドローインググローバル・ネットワーク時代の建築教育グローバル・アイデア・プラットフォームとしてのヴォリューム等身大のリベスキンド建築メディアの再構成曲げられた空間における精神分析変化し続ける浮遊都市の構築のためにカーンの静かなしかし強い言葉世界一の建築イヴェントは新しい潮流を認知したのか建築の枠組みそのものを更新する試みコンピュータは、ついに、文化的段階に到達した住居という悦びアーキラボという実験建築を知的に考えることハード・コアな探求者によるパブリックな場の生成コーリン・ロウはいつも遅れて読まれる繊細さと雄大さの生み出す崇高なるランドスケープ中国の活況を伝える建築雑誌パリで建築図書を買う楽しみじょうずなレムのつかまえ方美術と建築、美術と戦争奔放な形態言語の開発に見る戸惑いと希望建築と幾何学/書物横断シー・ジェイ・リム/批評家再読ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[2]ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[1]追悼セドリック・プライス──聖なる酔っ払いの伝説ハンス・イベリングによるオランダ案内建築理論はすなわち建築文化なのか、などと難しいことに思いをめぐらせながら「何よりも書き続けること。考え続けること。」建築を教えながら考えるレムの原点・チュミの原点新しい形を「支える」ための理論シンプル・イングランドヘイダックの思想は深く、静かに、永遠にH&deMを読む住宅の平面は自由か?ディテールについてうまく考えるオランダ人はいつもやりたい放題というわけではないラディカル・カップルズ秋の夜長とモダニズム家具デザインのお薦め本──ジャン・プルーヴェ、アルネ・ヤコブセン、ハンス・ウェグナー、ポールケアホルム知られざるしかし重要な建築家
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