建築と幾何学/書物横断
Robin Evans, The Projective Cast: Architecture and Its Three Geometries, The MIT Press, 2000.
George Wagner, Barkow Leibinger: Werkbericht (1993-2001) Workreport, Birkhauser, 2001.
Michael Osman, Perspecta 33 "Mining Autonomy": The Yale Architectural Journal, The MIT Press, 2002.
Gabriel Feld, Berlin Free University: Candilis, Josic, Woods, Schiedhelm, AA Publication (Architectural Association Publications), 1999.
Debra Coleman, Elizabeth Danze,C. Mercer and Carol Henderson, Architecture and Feminism, Princeton Architectural Press,1997.
George Wagner, Thom Mayne: Sixth Street House, Harvard University Graduate School of Design,1993.
前回に引き続きロビン・エヴァンスの本を紹介する。前回の著作は中くらいの長さのテキストを集めたアンソロジーであったが、今回は書下ろしの一冊である。「The Projective Cast」とのタイトルが付けられているが、「projective」は「投影した」とか「射影(幾何学)の」といった意味。「cast」はここでは「形態」などの意味で取ればよく、つまり「投影された形態」といったことか。サブタイトル「Architecture and Its Three Geometries」は、そのまま「建築と3つの幾何学」と訳せる。これだけではどういった本かわかりにくいかもしれないが、以下内容を紹介する。
「Composition and Projection(構成と投影)」と名づけられた導入の序章があり、以下9つの章からなる。第1章は、「Perturbed Circles(混乱した円)」。芸術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンとルドルフ・ウイットコウワーの、ルネサンス建築における円に対する解釈の違いから始まり、教会建築や絵画における円の扱いについて議論される。第2章は、「Persistent Breakage(持続される破綻)」。建築では断片化が3つの時期に起こり、それは1910年代および20年代のキュビスム絵画から影響を受けた時代、戦後のヒューマニズムの建築の時代、そして現在のヒューマニズムとモダニズムの終わりの時代である。
第3章「Seeing through Paper(紙を通して見ること)」では、建築がどのように奥行きのないドローイングから立ち上がり、一方建築がいかに奥行きのないドローイングに定着されるかが、ルネサンスのアーティスト、ラファエロと20世紀の建築家ハンス・シャロウンを比較しながら検討される。第4章「Piero's Heads(ピエロの頭)」のピエロとは、初期ルネサンスの画家、ピエロ・デラ・フランチェスカのこと。ルネサンス絵画におけるパースペクティヴや戦闘場面の描かれ方、フランスチェスカの人間の頭部の描法が扱われる。第5章「Drawn Stone(描かれた石)」では、石造の建築物がどの様な幾何学等を用いて描かれたかについて。
第6章「The Trouble with Numbers(数の引き起こすトラブル)」では、建築の構成における比例や寸法の問題が、音楽の問題と比較されながら説明される。第7章「Comic Lines (滑稽な線)」では、ル・コルビュジエの《ロンシャンの教会》における曲線について分析がされる。第8章「Forms Lost and Found Again(見失われ、再度見出された形態)」では、コルビュジエ以前の、建築アカデミーやアントニオ・ガウディにおける幾何学の問題。第9章「Rumors at the Extremities(極限についての噂)」では、テオ・ファン・ドゥースブルグやエル・リシツキーにおける幾何学を扱う。
以上は、ざっと項目の紹介だけであるが、この本が扱っているテーマのイメージはつかめるであろうし、前回のエヴァンスの解説を再読していただければ、この本が彼の主著として相応しいものだということもおわかりいただけると思う。また、建築、ドローイングと幾何学の秘密を扱っていることから、岡崎乾二郎著の『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001)とも読み比べて見たいものだ。ともにフランチェスカやパースペクティヴなど、かなり共通の話題を取り上げている。
エヴァンスはこの本の校正を終え、注釈を作成している途中に急死した。
さまざまな本をどのように関連づけて紹介するか毎回頭を悩ませているが、今回は一人の書き手が関わった本を横断してみよう。ジョージ・ワグナーは、建築家としての経験を経て、ハーバード大学大学院などで教えた後、現在バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学の教授を務めている。
まず彼は、ベルリンをベースに活動する若い2人組Barkow Leibingerの、昨年まとめられた作品集にメインの論文を提供している。Barkow Leibingerの作品は、これまで世界のさまざまな建築雑誌で紹介されているが、おそらく日本のメディアに掲載されたことはないだろう。彼らの作品は、ワグナーも指摘するように、モダニズム建築のなかでもとりわけ工場というビルディングタイプの特徴を展開し、多様な表現の獲得を目指している。1992年にアトリエを設立し、1994年のベルリンの《デイケアセンターおよび青少年センター》が広く注目を浴びた。今日までの作品で最も目を引くのは、シャープに造形されたランドスケープとユニークな大架構が融合された、ポツダムの《バイオスフィアおよびフラワー・パヴィリオン》であろう。
イエール大学の建築ジャーナル誌、『Perspecta』の33号は、「Mining Autonomy(自律性を採掘する)」という充実した特集となっている。ユベール・ダミッシュによる「カントによるルドゥー」は、エミール・カウフマンの著書『ルドゥーからル・コルビュジエまで』(中央公論美術出版、1992)の序文を英訳したものである。それを受けて、アンソニー・ヴィドラーが「ルドゥー効果:エミール・カウフマンとカント的自律性への批判」というテキストを書いている。これらは、オーソドックスな意味での建築の自律性についてだと思う。ダイアン・Y・ジラルドは「マンフレッド・タフーリと1970-2000のアメリカにおける建築理論」を書き、マイケル・ヘイズらは、最近の建築作品から自律性の問題を扱っていると思われるプロジェクトを20点ピック・アップしている。ここで現代建築を対象にするにあたって、完結性を持った自律性というよりも、最近欧米ではやっている自己生成といったテーマから自律性を扱っていることが見て取れる。ジル・ドゥルーズ直系の建築家、ベルナール・カッシュは「ゴットフリード・ゼンパー:ステレオトミィ(石など固体物を切ること)、生物学、幾何学」というテキストとともに、石で作られたレースのような自分のプロジェクトを発表している。ジョージ・ワグナーは、「ultrasuede(超スエード)」というテキストで、インテリアで使用される布の織られ方の変遷を分析し、それを建築の構成のされ方に絡めて論じている。
『Berlin Free University』は、チームX(チーム・テン)の主要メンバーであったジョージ・キャンディリス、アレックス・ジョシック、シャドラック・ウッズらによる《ベルリン自由大学》(コンペ1964年、第一期完成1973年)についてまとめたものだが、この建物はチーム Xのモニュメントともいえる。写真や図面、当時の資料をまとめた記録となっているとともに、メインの論文をジョージ・ワグナーが書き、序文はチームXのボスともいえるピーター・スミッソン。モーセン・モスタファヴィは、カーテンウオールの分析をしているが、それを担当したのはジャン・プルーヴェである。緩やかな幾何学に乗った、プレファブリケーションのストラクチャーが低層に自在に広がっていく様は、《埼玉県立大学》など山本理顕のプロジェクトとも比較して論じてみたいものだ。
少し前のものも合わせて、ジョージ・ワグナーの仕事を紹介しておくと、イエール大学で行なわれたフォーラムをまとめた『Architecture and Feminism(建築とフェミニズム)』では、「The Liar of the Bachelor(独身者である嘘つき)」というテキスト、で『プレイボーイ』誌に掲載されたペントハウスなど、独身者の住まいについて論じている。『Thom Mayne: Sixth Street House』はワグナーが編集し、トム・メインの《6番街の住宅》のスケッチ、ドローイング、模型写真を集めた、レイアウトや造本も非常に美しい本だが、1989年に発行されたこの本は現在では入手できないであろう。
[いまむら そうへい・建築家]