独特の相貌(プロファイル)をもつ建築
El Croquis No.138/ RCR ARQUITECTES, El Croquis, 2007.
2G No.37/ Valerio Olgiati, G.G, 2006.
Hans Ulrich Obrist & Zaha Hadid: The Conversation Series, Walther Konig, 2008.
その建物がどのような相貌をもつのか。建物がどのように見られるのか。それはどの時代においても重大な問題ではあるが、時代とともにその意味や重要性は大きく変わってきた。西洋建築史の大筋の流れのなかでは、ギリシャやローマが規範(カノン)とされ、建物の目的や建築家の趣向によって、すでにある様式をいかに再構成するかに注意が払われた。近代となり自我の目覚めとともに、マスター・アーキテクトは、自らの刻印を彼の建築に押すようになる。それは、例えばル・コルビュジエの「作品」として認識され、彼の意図を投影した表現だと認識される。その傾向は、今日の高度資本主義下にある商業主義がリードする時代においてはますます必要とされ、フランク・O・ゲーリーやリチャード・マイヤーといったスター・アーキテクトは、毎度すぐに彼のものだと判別がつく署名つきの作品を作り続けることを要求されている。
一方で、このような傾向に対して、違和感を覚え、異なったスタンスで設計に向かっている新しい世代も生まれてきている★1。彼ら(グループで作業することも多い)は、特定のスタイルを持たず、その都度ごとに新しい回答を探す。なので、名前を伏せて作品を見せられると、すぐにこれは誰のものと判別するのが困難なことがままある。自らのスタイルを裏書するために、声高にマニフェストを謳いあげることもない(逆かもしれない。マニフェストをつくれない時代であるからこそ、このようなスタンスの建築家が増えてきたのかもしれない。いずれにせよ、上の世代にナイーブだと揶揄されようとも、マニフェストのようなものに関してはどこか胡散臭さを感じている)。最初は、このような傾向をイギリスの新しい世代に認めることができた★2。しかし、最近では、このような傾向は世界的な広がりをもっているように感じられる。
RCRアランダ・ピジェム・ヴィラルタ・アーキテクツの作品で最初に強い印象を受けたのは、『a+u』の1998年11月号に掲載された《ゲスト・パビリオン・「カン・カルデナル」》と名づけられた、既存住宅のとても小さな増築案であった(のちに同じく『a+u』の2007年3月号に再録され、彼らのうち誰かの自邸であることがわかる)。この、ゲストのための小さな建物は、端正であり、また独特の素材の使いかたや形態から、印象的な存在感があった。その後、彼らの作品は数年ごとに『a+u』や『ディテール・ジャパン』に掲載されてはいたものの、どれもが良品ながらも、マイペースでこつこつとやっているローカル・アーキテクトなのかと思っていたところ、新しく出版された『エル・クロッキー』の特集で彼らの大活躍を知ることとなる。
RCRは現在40歳後半のほぼ同じ年の3人のスペイン人のユニットであり、活動はすでにほぼ20年にわたる。つまり、彼らは大学をでてすぐにユニットを結成したわけだ。この特集号では、彼らの2003年から2007年にかけての作品のみを集めているが、その充実振りには感心せざるを得ない。年表によると、コンペでの1等賞は20回を超えている。ランドスケープと一体となった作品を得意とし、なかにはランドスケープのみのプロジェクトもいくつかあるが、それらは早世したエンリック・ミラーレスの遺産を受け継いでいるとみることも可能だろう、彼らは同じスペインの建築家なのだ。プロジェクトは、公園、レストラン、図書館、公民館、住宅など多岐にわたるが(ドバイでコンペに勝ったという高層ビル5本を含むメガプロジェクトもある)、どれもコールテン鋼やガラスといった素材の質感を活かし、明快で強度がある。
ヴァレリオ・オルジアティ(1958- )の建築は、スイスらしいといっていい感触を持ちながらも、きわめてユニークなたたずまいを見せている。このところのスイスの傾向が、ミニマルであり、繊細であることからどこか弱々しかったことに比べると、彼のつくる建物は場合によっては荒削り、洗練に向かうのではなく豪胆な雰囲気を持っている。日本の精度が良い建築を見慣れていると、こうしたいくぶん粗いけれども確かな質感がある建築に憧れてしまうのは、私だけではないだろう。RCRしかり、オルジアティしかり、素朴でありながらも豊かである。それは大都市の生活に漬かっているわれわれにとっては、失われたものへの郷愁に過ぎないのか。それとも、そこから学んで、方向を修正することは可能なのだろうか。
《フリムスのイエロー・ハウス》は、完成した建物のたたずまいにも惹かれるが、そのプロセスを知るにつれて興味は深まる。イエロー・ハウスと名づけられているが、出来上がりは純白の氷塊のような建物(内部も白く塗られている)。じつは、これはかつてあった建物の改修であり、かつてこの建物の外壁が黄色かったからというわけだ。しかし、『2G』などの写真で見る限り、元の建物もなかなかチャーミングであり、それをこのように変貌させてしまうあたり、建築家の力量が感じられる。最近、いろいろな雑誌でも紹介されている《アトリエ・バーデル》は、茶褐色のコンクリートの外壁に、車輪だか紋章のようなパターンがレリーフ状に無数に施されており、この建物を独特の相貌としている★3。
ザハ・ハディッドは、かつて有名なペーパー・アーキテクトの一人であったが、それが世界で一番有名な女性建築家となり、そして今では世界で最も活躍している建築家の一人となっている。この連載でこれまでに2度取り上げたハンス=ウルリッヒ・オブリストによるインタヴュー・シリーズの最新刊『Hans Ulrich Obrist & Zaha Hadid』は、ザハ・ハディッドへのものである★4。今これだけ勢いのある建築家が何を考えているのかを知るにはタイムリーな本だ。インタヴューは、2001年から昨年までに行なわれた計7本。ミュージアムや中東をテーマとしたものもあるが、特にといえば2006年にサーペンタイン・ギャラリーのイヴェントとして行なわれた24時間マラソン・インタヴューの際のものだろう。なぜならば、このインタヴューには、彼女のかつての師であるレム・コールハースも加わっているからである。長い付き合いもあってか、果たして彼の性格なのか、レムの質問は聞きにくいことを避けずに、言い換えればみなが聞きたいことに、直裁に触れている。例えば、「これだけ仕事が増えれば、これまでの繰り返しをするのか、新しいことをするのか。かつての君の作品には、明らかに自身の署名があったが、今はデジタル技術で拡大しているだけではないか」「西洋化しているアラブ世界で巨大プロジェクトを手がける意味があるのか」などなど。機嫌をうかがいながら行なわれる通常のインタヴューと異なり、読んでいるほうが冷や汗をかくほどストレートな内容だが、しかしそれを豪快に笑い飛ばしながら(想像だ)答えるザハ。それにしても、かつては、10人で30のプロジェクトをこなしていたが、今は150人で450のプロジェクトを手がけているという(2006年時点)。しかも、翌日のインタヴューでは、「自分のスタッフは140人かと思っていたが、確認したら170人だった。パートナーは、毎日一人新しく雇い入れることを楽しみにしている」などと語っている。ザハ・ハディッドはどこへ行くのであろうか。
★1──例えば、乾久美子さんは、最近のインタヴューでこのようなことを言っている。「表情の場合は「建築」が主語になるのですね。そういうexpressionはいいなと思います。だけど表現の場合は、「建築家」が主語になって、そういうexpressionはいやだなと思います」(「閾値とか表情のこと」、『ディテール・ジャパン』2008年7月号所収)
★2──本連載2007年11月号を参照。URL=https://www.10plus1.jp/archives/2007/11/23202908.html
★3──今回紹介した作品はともに彼のウェブサイトで見ることができる。トップページのbookの項より作品が掲載されたポートレイトのダウンロードが可能。URL=http://www.olgiati.net/
★4──本連載2007年7月号、2008年1月号を参照。
URL=https://www.10plus1.jp/archives/2008/01/31151647.html
URL=https://www.10plus1.jp/archives/2007/07/17202854.html
[いまむら そうへい・建築家]