建築を知的に考えること
![Log No.1](https://www.10plus1.jp/archives/review/kaigai/0412/log1.jpg)
Log No.1, editor Cynthia Davidson, Anyone Corporation, 2004.
![Log No.2](https://www.10plus1.jp/archives/review/kaigai/0412/log2.jpg)
Log No.2, editor Cynthia Davidson, Anyone Corporation, 2003.
![Log No.3](https://www.10plus1.jp/archives/review/kaigai/0412/log3.jpg)
Log No.3, editor Cynthia Davidson, Anyone Corporation, 2004.
![Peter Eisenman Inside Out selected writing 1963-1988](https://www.10plus1.jp/archives/review/kaigai/0412/peter.jpg)
Peter Eisenman Inside Out selected writing 1963-1988, Yale University Press, 2004.
待望の、と言っていいだろう。ニューヨークから新しい建築理論誌が生まれたので紹介したいと思う。アメリカの現代建築の状況については決して誉められたものではないのだが、この国が20世紀の建築理論や建築教育において中心的、指導的な立場を持ち続けたという事実に口を挟むものはいないであろう。しかし、一方で"Oppositions"に見られたような、70年代、80年代の知的先鋭性を記憶しているものにとっては、ここ暫くのおとなしさには物足りなさが感じられた★1。
そうしたなかで、昨年秋にシンシア・デヴィッドソン女史の手によって、"Log"の刊行が始まった★2。シンシアは、1991年から2001年にかけて年1回世界各地で行なわれたAny会議の取りまとめ役であり、この"Log"はその後に続くものとして、Any会議などのために創設されたAnyコーポレーションから★3、現時点では年3回発行の予定となっている。ほぼA6の版形で、約150ページの全ページ白黒のシンプルな装丁。値段も一冊10ドルときわめて安く、仕掛けがかなり大掛かりであったAny会議のプロジェクトに比べると、簡便でハンディなところが却ってストレートで好ましい。
さて、肝心の内容だが、すでに第3号まで出ているものの、その内容はあまりにも濃いのでこのわずかな紹介文のなかでそのすべてに触れることは残念ながらできない。とりあえず、創刊号の内容を紹介することで、この冊子の内容を感じ取ってもらえればと思う。
Anyの終了を受けての創刊とはすでに書いたが、もうひとつこの新しい企ての背景には、9・11があるようだ。というのも、この事件そのものの衝撃もさることながら、その後のWTCの再建を巡って、アメリカでまったくといっていいほど建築的に実りのある議論が起きなかった。そのことへの強い危機感があったと巻頭のテキスト"What's in a Log?(ログの内容は?)" でシンシア・デヴィッドソンは述べている。また、同様のモチーフからであろう、ポール・ヴィリリオは"An Architect's Crime(建築家の犯罪)"というテキストのなかで、超高層の問題を扱っており、ルイス・フェルナンデス=ガリアーノは、"Asia on the One Hand, Europe on the Other(片手にアジアを、もうひとつの手にヨーロッパを)"のなかで、WTCのコンペの勝者ダニエル・リベスキンドと、そのコンペを辞退し北京のCCTVのコンペに勝ったレム・コールハースの比較を行なっている。
その他にも、コロンビア大学建築学科のディーン(学部長)を辞退したバーナード・チュミへのシンシアによるインタヴュー"Bernard Tschumi: The Exit Interview"や、ロバート・ベンソンによるザハ・ハディドの《シンシナティ現代美術館》について分析した"Space for Art or Civic Space"、アンソニー・ヴィドラーによるレム・コールハースが編集したWired誌に関する"Still Wired After These Years?"、ベン・ファン・ベルケルとカロライン・ボスがオフィスでの日々を描写した"Material to Figment- Figment to Material(素材から空想へ、空想から素材へ)" など著名な建築家に関するものがいくつか見られる。
また、エリザベス・グロッズによる"Deleuze, Theory, And Space" は、今でもフォールディング派の理論的根拠とされている哲学者ジル・ドゥルーズの理論と空間について再考し、ジュリアーナ・ブルーノによる"Pleats of Matter, Folds of the Soul" は、イッセイ・ミヤケのプリーツ・シリーズに関するエッセイを、ドゥルーズの引用からはじめている。
幾分内輪受けの感も否めないながらも面白いのは、ティナ・ディ・カルロとタリ・クラコウスキーによる"log'rhythms"というページであって、ここ25年ほどにおける建築議論の主要な舞台となった学校、コンファレンス、展覧会、プロジェクトに、ベテランから若手の建築家、建築評論家がどのように関与してきたかを、図式化し、モデル化したものだ。それは、グラフィカルにも美しいのだが、ここでの人選そのものも興味深いので、長くなるがすべて挙げておこう。FOA、glform、imaginaryforces、Kevin Konnon architects、ライザー+ウメモト、UNスタジオ、セシル・バルモンド、ピーター・アイゼンマン、チャールズ・グワスミー、ジェフ・キプニス、ダニエル・リベスキンド、レム・コールハース、スタン・アレン、サンフォード・クインター。
このように、毎号に20ほどのテキストが集められとても読み応えがある。これを素直に興味を引くものから拾い読みしてもよいし、相変わらずアメリカの東海岸は、知的スノッブだなと訳知り顔で無視しても、それは各自の自由である。平均的に大衆化された日本と、一部知的エリートが主導する欧米とでは、そもそも風土が異なるというのも事実だろう。われわれには、ポストモダンの時期に、フランス現代思想の知的レベルの高さは認めながらも、それらを実感が薄いまま読んだというほろ苦い経験もある。
建築における批評は可能かなどとここで再度問いかけたとしても、それではそもそも批評とは何かという話をするつもりもない。では言い方を変えて、建築を知的に考えたり、知的に語ったりすることは、なぜほとんどされていないのだろうか。こういう言い方もやはり、ハイブロウに聞こえてしまうのであろうが、この"Log"などを読んでいると、さまざまな知見や、問題の設定の仕方がちりばめられていて、僕などはなるほど面白いと単純に思ってしまうのだが、皆さんはどうだろうか。
そのシンシア・デヴィッドソンは、建築家ピーター・アイゼンマンのパートナーであるわけだが、アイゼンマンの論考を集めたアンソロジー"Eisenman Inside Out, selected writing 1963-1988" が出版された。理論的論客として知られ、20世紀後半でもっとも知的な建築家とも言っていいアイゼンマンのテキスト集がいままでなかったことは、不思議な気すらする。通常こうしたアンソロジーは、華を添えるようなかたちで他の批評家なりがイントロダクションを書いたり、各テキストの解説を書いたりするものだが、この本ではアイゼンマン自身がイントロダクションを書いている(この本には、アイゼンマン以外のテキストはおさめられていない)。なかには"Misreading Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマンを誤読する)"という、もちろん彼自身のテキストもあり、とりわけ後半の彼の建築的試みはトートロジカル(自己言及的)になるのだが、それをこの本でもトレースしているとも言える。
彼の論理的な態度はもちろん、形態を自動生成する手法は、後の世代に強い影響を与え、とりわけ昨今フォールディング派と呼ばれるグループには直接的ルーツとなっているわけだが、ここに納められた彼の最も初期のテキスト"Toward an Understanding of Form in Architecture(建築における形態の理解を目指して)"のなかにすでに、フォールディング派のキーワードであるgenericという単語が重要な概念として挙げられているのを見つけると、アイゼンマンはその始まりから一貫した関心のもとに探求を続けてきたことがよくわかる。
また、interiority(内部性)という単語も、重要なものとしてたびたび登場する。この本のタイトルは、ピーター・アイゼンマンのinside(内部)を明らかにするつまり「ピーター・アイゼンマンのすべて」と一般的には訳せるのだろうが、彼の文脈からすればinteriority を明らかにする彼の試みと共振していることが理解できるであろう。
20世紀後半の建築における、知的創造の場の中心にいつもいたアイゼンマンのテキストを通読することは、前半で紹介した多様なテキストが入った"Log"を読むのとはまた違った、知的充実感をもたらしてくれるだろう。
★1──すでに伝説と化しているといっても過言ではない建築理論誌"Oppositions"の内容とその意義については、日埜直彦による以下のテキストによくまとめられているのでぜひ参照していただきたい。ここからは、僕が今回"Log"を積極的に取り上げたいという高揚感と、共感するものが読み取れると思う。
日埜直彦「建築批評誌『オポジションズ』」(岸和朗×北山恒×内藤廣『建築の終わり──70年代に建築を始めた3人の建築談義』[TOTO出版、2003]所収)
また、"Oppositions"については、この連載でも"Oppositions Reader"を取り上げたことがあるので、あわせてそちらも参照いただきたい。
URL=https://www.10plus1.jp/archives/2003/09/01162507.html
★2──log という英語には、まず「丸太」という意味があり、このサッシの裏表紙には丸太のイラストが載せられているが、もちろんこれはウイットである。logの他の意味としては、「記録する、〈資料を〉整理編集する」というものがあり、今回はこちらであろう。と同時に、最近ではインターネット上でよく見かける用語でもあり、その場合は「コンピューターの利用状況や処理した内容を時間的に記録したもの」であり、今日の議論の記録としての発行意図を反映したタイトルになっているといえよう。また、logから「logs=ロゴス、理性」という言葉を連想することも可能だろう。
★3──Anyコーポレーションのアドレスはhttp://www.anycorp.com/。この"Log"のイントロダクションをはじめ、ここでいままで発行してきた雑誌、書籍についての情報もある。
[いまむら そうへい・建築家]