リテラル、まさにそのままということを巡る問いかけ
Mark Linder, NOTHING LESS THAN LITERAL : Architecture after Minimalism, The MIT Press, 2005.
Donald Judd, Donald Judd Complete Writing 1959-1975, Nova Scotia College of Art and Design, 2005.
El Croquis 127 John Pawson 1995-2005, El Croquis, 2006.
リテラリズムは原理主義ではない
リテラリズムは還元ではない
リテラリズムはリアリズムではない
リテラリズムは明らかではない
リテラリズムは抽象の拒否ではない★1
戦後ニューヨークで起きた抽象表現主義/ミニマリズムを巡る議論(アーティストとしては、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、フランク・ステラ、ドナルド・ジャッドなど、批評家としてはクレメント・グリーンバーグやマイケル・フリード)。そこで行なわれた批評行為は、20世紀のアート界においてもっとも実りある知的な生産活動であったと述べたとしても、その意見にうなずく人も少なくないだろう。
どの時代にあっても建築とアートとは密接な関係を築いているので、こうしたアートを巡る動向に対して建築関係者が興味を持つことは自然なことだ。ただそれのみならず、モダニズム以降はアートと建築とが特別な相互影響を与えていることもまた間違いないところであって、必読書とされるコーリン・ロウの『マニエリスムと近代建築』とグリーンバーグ以降の議論との並行性も指摘されるように★2、どうやら、この時期のモダンアートを巡る議論を消化することは、建築界にも必須といって差し支えないだろう。
ただ一方で、抽象表現主義やミニマリズムを巡る議論は、作品同様(もしくは作品ゆえに)抽象的なものになる傾向があり、また厳密さゆえに鋭い批評性を持っているとしても、それを作品と照らして検証するのも容易ではないという事情がある★3。よって、こうした議論はどうも実感をともなって合点がいくというには困難な状況であったし、それがまた現代建築へどのように接続されているかを考えるのも難しかった。 マーク・リンダーによる『NOTHING LESS THAN LITERAL』は、そのような困難を抱えている読者に対して格好の書となっている。「Literal」とは、〈文字通り〉〈そのまま〉の意。「Nothing less than」は、これもまた〈〜にほかならない〉〈まさしく〜〉の意。よって、「そのままであることにほかならない」といった、いくぶんまわりくどいタイトルを持つこの本は、6つの章からなっており、それぞれが、コーリン・ロウ、クレメント・グリーンバーグ、マイケル・フリード、ロバート・スミッソン、ジョン・ヘイダック、フランク・O・ゲーリーにあてられている。そして最初の4章で批評的理論の展開を復習し、あとの2章でそれらの現代建築への適応を検証するという構成になっているわけだが、選ばれている建築家がヘイダックとゲーリーであることに筆者の意欲を感じないだろうか(ピーター・アイゼンマンやO・M・ウンガースといった、明らかにこの時期のアート理論を直接的に展開している作家を取り上げていないところが)。ちなみに、ヘイダックで取り上げられているのは60年代のプロジェクトであり、ゲーリーに関しては彼がよくモチーフとして採用するフィッシュについてと、少し前のものであるが、ぜひこの著者には、今のゲーリーやヘルツォーク&ド・ムロンの近作についても、この文脈からの分析を試みて欲しいものだ。
さて、グリーンバーグらから学ぶことは、もちろん当時の状況だけではなく、そもそも批評とは何かという根本的ともいえる問題設定だろう(彼は現場の目撃者でありながら、と同時に原理的であった)。
ミニマリズムの代表選手であり、またその理論を極限まで追い詰め、時として理論と実践の矛盾を露呈したアーティスト、ドナルド・ジャッド。アーティストになる前の彼は、美術ジャーナリストとして数多くの寄稿を行なっており、その時期の美術雑誌等で発表された彼のレヴューを集めた本が『Donald Judd Complete Writing 1959-1975』である。
抽象表現主義の議論を継続する形でミニマリズムが生まれ、それはリテラルの議論からも導かれるようにと、書いていてもわれながら理屈っぽく、マイケル・フリードもミニマリズムというよりもリテラリズムということを好むと書いているが、こうした議論は厳密さゆえにある高みに至ったとされる一方、こうした状態を窮屈に感じるのもまた事実である。
『El Croquis 127 John Pawson 1995-2005』 は、イギリスの建築家ジョン・ポーソンのここ10年ばかりの作品を集めた本である。変わらずシンプルでスタイリッシュな作風は、ページをめくっていて心地いいが、かつて多く手がけていたファッション・ブティックはほとんどみられず、住宅や修道院といったプロジェクトがその大部分を占める。以前はきれいな空間を外から覗いているような感じだったのが、今はその中にいることの気持ちよさへと関心が動いているようにも思える。ポーソンは、かつて『ミニマリズム』というベストセラーになった本を作った。そこには彼が選んださまざまなミニマルなオブジェや空間が集められており、理屈はなくただ、一人の目利きが良しとしたものを肯定するという構成となっていた。
ミニマルは理論ではなくて、感触なのか、いやいやそうして、形態的に消費してしまうのが建築界の悪癖なのか。ミニマルは決して単純ではなく、じつに多様で射程が広いことを、これらの本から受け取れるのではないだろうか。
★1──Mark Linder, "Literal: There's No Denying It"(Log N0.5 所収)、以前にも紹介したこの小論は著者マーク・リンダー自身による"Nothing Less than Literal" 解説である。
★2──磯崎新、柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎対談「モダニズム再考」(『モダニズムのハードコア』(太田出版、1995)所収)参照のこと。『モダニズムのハードコア』という単行本そのものが、モダニズムから抽象表現主義にいたるさまざまな論考が収められていてお薦めである。
★3──ここで述べている一連の美術批評の嚆矢となったのがクレメント・グリーンバーグであるが、彼の論考も長らく数編が訳されていたのに過ぎなかったのだが、ようやく『グリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄監訳、勁草書房)というかたちで発刊された。
[いまむら そうへい・建築家]