ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[1]
Mies Van Der Rohe, Terence Riley, Barry Bergdoll, Mies in Berlin, The Museum of Modern Art, 2002.
Yehuda E. Safran, Mies van der Rohe, GG, 2001.
Werner Blaser, Mies van der Rohe, Birkhauser, 1997.
D・スペース『ミース・ファン・デル・ローエ』(平野哲行訳、鹿島出版会、1988)
フランツ・シュルツ『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』(澤村明訳、鹿島出版会、1987)
「ジャコメッティとわたしとは、ル・コルビュジェにも同じような反感を持っていました。ル・コルビュジェは家というものを破壊した。家の中でもっとも魅力的な要素、屋根を排除しました。」バルテュス★1
ミース・ファン・デル・ローエは、モダニズムの真摯な追及者として、その生涯に渡って純粋に抽象的な建築をデザインし続けたとされる。モダニズムの建築と、ミースの建築は、ぴったり一致するものと長く信じられていた。しかし、これは本人および、その信奉者により意図的に形成された一種の神話であったということは、最近のミースを取り巻く言説のなかでは、すでに広く確認済みといっていいだろう。例えば、八束はじめの著書『ミースという神話』★2のなかでも、《バルセロナ・パヴィリオン》(1929年)、《チューゲンハット邸》(1930年)といった傑作と平行して、きわめて保守的でブルジョワ向けの住宅がミースによって設計され、建設されていたことが指摘されている。つまり、自分が積極的にプロバガンダしていたものと、まったく反対のベクトルの作業を行なっていたのである。このことに限らず、ミースは決してわかりやすいひとつの典型としてまとめられるものではなく、きわめて矛盾を孕んでいた存在であった。
20世紀を代表する建築家の一人であるから、ミースに関する出版はもちろん多い。しかし、これはミースに限ったことではないのだが、日本では建築家の作品(写真およびドローイングなど)、伝記、フェアな批評を一冊にまとめた本が極めて少ない(昨年、丹下健三と林雅子のモノグラフが続けざまに出版されたのは、嬉しい例外である)。1986年の、ミース生誕100周年以降、断続的にミースに関する書籍が出版され続け、新たな発見が報告されている。2回に渡って、これらミースに関する本を紹介しようと思う。
『Mies in Berlin』は、2年前にニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された、同タイトルの展覧会に合わせて出版されたものであり、13本のテキストと、作品紹介の図版からなる充実した内容である★3。テキストは、展覧会を組織しこの本の共編者の一人でもあるテレンス・ライリーによる、ミースとMOMAの関係をめぐるものから始まり、ミースとアヴァンギャルドに関するもの(デトルフ・マーチン)、ベルリンにおけるモダニズムについて(ヴィットリオ・ランプニャーニ)、ミースの処女作の住宅について(フリッツ・ノイマイヤー)など多岐にわたっている。じつはこれらのテキストについては、すでに田中純による批評的なコメントがあり是非参照して欲しいのだが、そこでも指摘されているように、ここで集められているものは資料を丹念に追いかけた実証的なものであり、現在からどのようにミースを捕らえるかというアクチュアリティに欠けるとされている★4。それは、確かに正しい。ただ一方で、ミースをいじくりまわし、無理にひねった視点から捉えるテキストは、もう勘弁して欲しいという気持ちもある。日本ではすぐに最新の情報をと求める傾向があるから、このような客観的な資料を手元において、時々見返し、少しずつ味わうというのもなかなかいいのではないかと思う。
図版に関しても、いわゆる展覧会のカタログという性格から、普通の作品集のように建築写真が中心というわけではないが、ミース自身によるエスキースが多く納められていて、建築家の息遣いを感じることができる。
『Mies in Berlin』は、そのタイトルどおり、ミースの前半生に焦点を当てたものであるが、ここでの成果を含め、繰り返しになるが、ミースの見直しは継続的に行なわれている。しかし、ひとつここで疑問が生じた。《バルセロナ・パヴィリオン》は1986年に再建されたものであるし、《チューゲンハット邸》は東欧圏にあり、訪れることは長らく困難であった。いくつかのレンガ・ブロックの住宅もごく最近になって整備され公開されるようになっている。つまり、ドイツ時代のミースは、その実作をほとんど見られることなく、長年に渡って議論されてきたことになるが、それは本当に可能であったのであろうか。そうした状況がミースの神話を強化したことは間違いない。そして、今日では、これらの作品を見ることは可能になったわけだが、それによってわれわれのミース理解は深まったといえるのであろうか。例えば、私は80年代末に、《バルセロナ・パヴィリオン》と《チューゲンハット邸》を訪れているし、それは私と同世代以降には一般的なことなのだろう。しかし、ミースの実作を見ることがなかった上の世代と比べると、若い世代が受け取ったことと、そうでないこととがあるようである。ミース神話の解体が進み、多くの美しいカラー写真が届けられることにより、却って失われたことについて、あらためて思いをめぐらす必要もありそうだ。
『Mies in Berlin』はよくまとめられている資料であるが、どちらかというとミース中級者および上級者向けといえるであろう。まずは、ミースのことを初歩的なところから知りたいという人たちに、ミースの仕事を概観するのに便利ないくつかの本を挙げておこう。スペインのGG社より一昨年出版された『Mies van der Rohe』は、多くのカラー写真によりミースの21の実作を紹介している。つまり、プロジェクトは一切含まず、これはミース紹介としては珍しいスタンスかもしれない。テキストは、AAスクールを経て、現在コロンビア大学にいる建築批評家イェフダ・サフラン。ドイツの出版社BIRKHAUSERの『Mies van der Rohe』は、写真こそ白黒なものの、図版、解説がコンパクトにまとめられた好著だ。そもそも著者のウエルラー・ブレーザーは、ミース自身公認の作品集編者ともいえる存在で、事実この本は、1964年にミースとブレーザーの協働によって発行されたミースの作品集を定本としている。
ミースの評伝としては、85年に書かれた2冊がすでにともに、日本語に訳されているのがありがたい。SD選書のデイヴィッド・スペースによる『ミース・ファン・デル・ローエ』は、そのコンパクトな内容で、一番の入門書であろう。フランツ・シュルツによる『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』は、大部な分、図版も大きく見やすく、ミースの生涯を詳細に追っている。八束も上記の著作のあとがきで「少なくともシュルツは読んでいるくらいの知識は前提にして書いている」としているように、ミースの伝記の定番と言えるであろう。
★1──コスタンツォ・コスタンティーニ編『バルテュスとの対話』(白水社、2003)。
★2──八束はじめ『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』(彰国社、2001)。
★3──同年、ホイットニー美術館にて「Mies in America」が開催され、同じように同名のカタログが発行されている。こちらはまた改めて紹介する。ちなみにこれら2冊は、今年になってペーパーバック版が発行され、以前の半額近くの価格となり入手しやすくなった。
★4──田中純「ミースの年 その建築の面影」(『建築文化』2002年4月号、彰国社)。
[いまむら そうへい・建築家]